追悼・今村仁司
理論と批判が一致する理由

三島憲一

 今村仁司氏が亡くなった。惜しい。そして悔しい。『批判への意志』という著書のタイトルからもわかるように、理論的であるということは、批判的であることだという事態を、その文章の一行一行で体現している、現代日本の数少ない思想家であった。理論的であって、没批判的もしくは現状肯定的であるということは、今村氏にとってはあり得ないオプションであった。もちろん、なにに対して、どのような理由をもって批判的となるかは、そのつどのこれまた「理論的」な議論による。氏の仕事も、ここに潜在する堂々めぐりの可能性との戦いでもあった。「マルクスの言い方はすでに幻想の外部に出たと確信している人間のいい方である。しかし、どうしたら外部に出ることができるのか」。理論的であることと批判的であることとの、それ以外にはありようがない一致が、堂々めぐりにならないような一致となるにはどう考えたらいいのか。
 こうした氏の課題の原初には、既成のマルクス主義に対する徹底的な批判がある。
 二〇世紀になってマルクスの予言通りに歴史が動かないなかで、さまざまなマルクス主義がマルクスの「断片的言説を解釈し、組織し、体系的な形式の下」で新たな提案を行ってきた。ルカーチ、サルトル、アルチュセール……。言葉を換えて言えば、『経哲草稿』の疎外論に、あるいは『資本論』から読める物象化論に依拠した唯物論の書き換えは、「ほぼすべて空虚」であった、と氏は断定する。たしかに、福祉政策などを馬鹿にすることを生き甲斐にしてきた自称ラディカル・レフトは、まさに今村氏のいう通り、唯物論と歴史哲学を、神学と変わらない「化け物」にしてきたためである。「自然主義的客観主義と人間主義的主観主義のシーソーゲーム」のなかで思想は、常に個人の生活世界から切り離されてきた、と氏は論じる。  このような診断に対しては、ソ連型社会主義のイデオロギーがいけなかったのだ、マルクスの本来のテクストに戻れば、そうした弁証法的唯物論のドグマ化は避けられる、という「言い逃れ」が用意されている。だが、今村氏はそうした退路を自ら断ってきた。氏にいわせれば、ソ連型であれ、西側の自己満足型ラディカリズムであれ、不毛な幾多のマルクス主義の「発生は、マルクスの仕事の中に芽を持っていた」。そうした「横滑りを許してしまう傾向がマルクスの言説のなかにもあった」。それは、「生産力」「生産関係」「私的所有」「矛盾」などという概念のときとして実体化された使い方に見ることができる。
 そのように考える氏は、例えば「フォイエルバッハ・テーゼ」にも、先の「シーソーゲーム」が見られることを指摘する。つまり、理論と批判とはひとつになっていない、と論じる。だが、同じ「フォイエルバッハ・テーゼ」のなかに別の可能性も潜んでいる。つまり、これまで哲学が見てこなかったもの、哲学が哲学であることによって排除してきたもの、その「視野狭窄症」の理由となっているもの、すなわち社会的経済的生活を見るようにという指摘がある。これまで見えてこなかったものを指示する、氏が「指差し機能」と称する思想の機能こそが、マルクスの「方法的示唆」なのであると氏は論じる。
 同時に氏はベンヤミンとともに『資本論』の経済学的部分よりは、その第一章第四節の「商品のフェティッシュ的性格とその秘密」に目を向ける。まさにこのフェティッシュ的性格にこそ「経済的生産と再生産の過程は、物質的過程であるばかりか、すみずみまで浸透したイデオロギーの生産・再生産過程でもある」事態が読み取れるのだ、と。そしてこう結論する。「人が自分の生きる世界について抱く諸観念によって、またそれらの観念体系を通じて、社会の再生産が可能になっているのなら、この再生産過程の理論的記述はイデオロギーの批判的記述と一体となる」。今村氏において「理論」のあり方と指差しとしての「批判」が一致するメタ理論的な理由はここにある。
 さらには、ヨーロッパの「主流」の理論や生活形式ばかりでなく、別の大陸や別の宗教の別の解釈パターン、別の人々の生活を支えている神話や価値や交通形式からも目をそらさないことを要求するのも、そのゆえである。もちろん、それは「東洋」や「日本」の「英知」や「霊性」を云々することではない。「東洋と西洋など何の意味もない」(『思想の星座』あとがき)。
 今村氏が中心になった筑摩書房の『マルクス・コレクション』はこうした考え方にもとづいて選ばれ、集められたマルクスのテクスト群である。完成を目前に氏が亡くなってしまったことは痛恨の極みである。「完成したら徹底的にお祝いをしよう」と漏らしておられただけに。しかし、理論と批判の収斂に関して氏が書き残したテクストはわれわれのもとを去ることはない——そして氏の理論や批判も、社会とそのイデオロギーの相互収斂が続くかぎり消えることはないであろう。
(文中の引用は、特に指摘していないかぎり、講談社『現代思想の源流』所収の今村仁司氏のマルクス論からである)

(みしま・けんいち/東京経済大学教授)

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