最後の親鸞

吉本 隆明

宗教以外の形態では思想が不可能であった時代に、仏教の信を極限まで解体し、思考の涯まで歩んでいった親鸞の姿を描ききる。
【解説: 中沢新一 】

最後の親鸞
  • シリーズ:ちくま学芸文庫
  • 1,100円(税込)
  • Cコード:0115
  • 整理番号:ヨ-1-6
  • 刊行日: 2002/09/10
    ※発売日は地域・書店によって
    前後する場合があります
  • 判型:文庫判
  • ページ数:240
  • ISBN:4-480-08709-5
  • JANコード:9784480087096
吉本 隆明
吉本 隆明

ヨシモト タカアキ

1924-2012年。東京生まれ。東京工業大学電気化学科卒業。詩人・評論家。戦後日本の言論界を長きにわたりリードし、「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」などと称される。おもな著書に『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』『宮沢賢治』『夏目漱石を読む』『最後の親鸞』『アフリカ的段階について』『背景の記憶』などがある。

この本の内容

親鸞の思想は、直弟子たちの聞書きなどに書きとめられた言葉によって、死後はるかな時間をへだててしだいにその巨きな姿をあらわした。非僧非俗の境涯に集約されるその知の放棄の方法はどのようなものだったのか?宗教以外の形態では思想が不可能であった時代に、仏教の信を極限まで解体し、善悪の起源とその了解について思考の涯まで歩んでいった親鸞の姿を、著者は全身的な思想の集注で描ききっている。

この本の目次

最後の親鸞
和讃―親鸞和讃の特異性
ある親鸞
親鸞伝説
教理上の親鸞
永遠と現在―親鸞の語録から

読者の感想

2015.9.03 lovelynn

20歳の頃に出会って、その後の私を底辺で支え続けてくれた本。親鸞を思想哲学で捉えようとしたら相当の教養、知識が必要となってくる。親鸞を一介の念仏者として捉えようとしたなら全ての知識も教養も捨て去らなければならない。そうして愚者になったところで初めて最期の親鸞に触れることができるのだと思う。私の中で今でも吉本隆明と親鸞が重なってしまいます。

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