写真:坂本真典
でかい、重い、音がやたら低い、金管楽器——チューバ。「あんたさあ、チューバやってくんない?」。これが現在製薬会社に勤める26歳の独身女性、つまり主人公の「私」が中学校のブラスバンド部でチューバに出会う引き金となったひと言だ。「そう、あんた、体でかいじゃない」。このようにして、「私」はチューバという楽器を愛し、ともに生きるようになった。だが、それはピアノやギターやフルートのように華やかな世界でスポットライトを浴びることではない。不格好で不器用で、さほど出番のない楽器を吹き続ける。そのことに迷いと疲労を感じることさえ少なくはなかった。ある日突然、地下鉄の車内でクラリネット吹きの黒帽子の男から誘いを受けた「私」は、奇妙なバンド「我楽多楽団」と活動を共にするようになる。そしてついに憧れだったバルカン半島出身のジプシー・ブラスとの興奮と感動のライブセッション——夢にも見なかった奇跡の夜が訪れる!
瀬川 深(せがわ・しん)
1974年1月20日、岩手県生まれ(満33歳)。東京医科歯科大学医学部卒業。
国立大学医学部大学院在籍中。小児科医。
書き始めたのは高校のときのことです。フランツ・カフカの短編集があまりにも面白かったことが一つのきっかけだったはずで、「これが小説であるのならば俺は小説を書きたい」と思ったことを憶えています。高校時代に書いたものはカフカの劣化コピーみたいなものばかりでした。
多少なりとも蒙が啓かれたのは、大学の教養部で受けた文学の授業でのことです。ここで自分は初めて、ストーリーやキャラクターに寄り添うのではなしに小説を読む方法を学びました。また、自分のあまりに貧相な読書体験を恥じたのもこのころです。ろくすっぽ理解もできないくせに文学という巨大な壁にとりつき、徒手空拳の濫読を繰り返しました。同時にはまりこんだのが海外旅行で、でかいリュック一つを背負っては一人きりの放浪を繰り返していました。まだ世界が冷戦後の秩序を模索していた九〇年代に、中国や東欧、旧ソ連、中央アジア、中近東といった土地を歩いたことは、かけがえのない経験でした。
まるで見るべきところのない薄暗い時代でしたが、これらが、いま書くことに対する自分の血液になっていることは間違いがないようです。それなりに雑事多き日々の中で、昼の三十分、夜の一時間を書くことに費やすと定め、深夜のコーヒーショップが自分の書斎でした。とはいえ何を書いていたのかと問われればはなはだ心許なく、恋愛でもミステリーでもSFでもファンタジーでもない、当人にすら説明に困る偏奇な作品ばかりをごりごりと刻みつけ続けてきたことになります。正直なことを言えば不安で仕方なかったし、ばかばかしく思うこともありました。しかし、自分には、それしかやりようがなかったようです。
その中の一編が星を一つ頂きました。喜ぶよりも驚くよりも、安堵しました。自分の紡いだ物語はまだどこかで必要とされているようです。
母に、友人たちに、審査委員の先生がたに、心から感謝します。ありがとうございました。
末筆になりますが、本作の一つの源泉であり、なにより音楽というものの素晴らしさを再認識させてくれた、ファンファーレ・チォカリーアと大熊ワタル・シカラムータに、最上の感謝をこめて本作を捧げます。
六月十四日、東京・丸の内の東京會舘で第二十三回太宰治賞(筑摩書房・三鷹市共同主催)の贈呈式が行われた。今回の受賞作は瀬川深氏の「mit Tuba」。
主宰者である三鷹市の清原慶子市長と筑摩書房の菊池明郎代表取締役社長の挨拶の後、選考委員を代表して柴田翔氏が受賞作について語った。その中で柴田氏は「相撲には凄い勢いで押し寄せてきてあっという間に相手を押し出してしまう『怒濤の寄り』というものがあるらしいが、この作品にもそういう迫力を感じた。小細工をしているわけでもストーリーに複雑なところがあるわけでもないが、若い女性の二十代の終わりまでの生きている様をまっすぐな言葉で書いている迫力に負けた。この迫力は根本的に作家が自分の書いているものへの確信を持っていることの表れだと思う。チューバという主役にはなれない楽器のように一種の余剰を引き受けてそれとともに進んで行こうという主人公の態度は、自分の人生をいろいろな問題がありながらも根本的に肯定している非常にポジティブなもので印象的だった。作者は内的にきわめて力強い女性を書いたと言える」と述べた。
受賞者の瀬川氏は「最初に受賞の知らせを聞いた時に感じたことは、嬉しいとかびっくりしたとかいうことよりも安堵だった。私はこれまで長いこと一人で小説を書いてきたし、それもジャンル分けが非常にめんどくさいようなでっぱりがたくさんあるものだったということと、自分自身人様にお見せ出来るような面白い経験をしたわけでもない人生を送ってきた三十男なので、そういう人間が書いたものが、平成十九年の日本の文学という場において読まれるのかという不安な気持ちがあった。今回頂戴した一つの星は、私の作品に付けていただいたこの上ない勲章だと思っている。この事を何よりの契機として小説を書いていきたい。今の世の中は一人の人間が多種多様で膨大な量の情報に晒されるという未曾有の状況だが、そうした垂れ流される分かりやすい刺激に溢れた世の中でなおかつ読んでもらえる物語を作るのはしんどいことではないかと思う。しかしこの消耗に満ち溢れた興奮の中で、それ以上の興奮剤を調合することではなく、全く違った方向から驚きを呼び覚ますやり方を追求していかなければならないのではないかと考えている」と語った。
この後太宰の長女・津島園子さんから受賞者への花束の贈呈と選考委員の高井有一氏による乾杯の音頭がありパーティーへと移った。
【週刊読書人 2007年6月29日(金曜日)】掲載