『一九七〇年転換期における『展望』を読む』を読む/加藤典洋
筑摩書房の雑誌『展望』は、第二期一九七〇年前後に一つの光芒を見せた。一九六四年十月に創刊、当時の読者にある種鮮明なメッセージを発し、一九七八年八月に終刊。私のように、それに刺激を受け、この期間に筑摩書房の就職試験を受け(て落ち)た読者も少なくなかったはずである。
出版社創立七〇周年を記念して、第二期『展望』の現在的な意味を再考するという企画。大澤真幸、斎藤美奈子、橋本努、原武史という、現在五〇代半ばから四〇代前半までの四人の編集委員が、何度か話し合い、いまどきの読者に読ませたいと思う掲載論文を選んだうえ、自分の論考、座談会とともに送り出す。書名副題は「思想が現実だった頃」。座談会の題名は「なにかが終わった後に、生きていくための思想」である。
当時の読者から見て、座談会に示されている時代把握には、首をかしげるところもなくはない。たとえば、この雑誌は東京オリンピックの年にはじまり、成田空港開港の年に終わっている。一九六〇年の頓挫で編集方針が大きく右よりに転回した『中央公論』の空隙を衝いて現れたという意味で、安保闘争がこの雑誌の編集思想上の起点をなしていることはあきらかだが、その一九六〇年の意味は、「アメリカが効力を失い始める」ではなく、「ソ連(共産主義体制)が効力を失い始める」だろう。そしてそれが、革命という理想が信じられていた時代(=理想の時代)の終わり、という意味だろう。
とはいえ、この年代の編集委員ならではの意表をつく新鮮な観点、十分に渉猟したことが窺われる丁寧な論文選択と、たとえば編集委員の一人大澤の用意する見取り図は、十分に喚起的で、読者はこの本から、それぞれに、この雑誌のもった時代的な意義、現在なお未来に向けてもつ可能性を、受け取ることができる。
最年少の橋本の選ぶ論文が、左翼系の旧態依然たる面白味のないものばかりで、しかしそこから出てくる感想が、この雑誌は「なぜ今の民主党につながるようなオルタナティブをもっと構築していかなかったのか」という意外な提言であるところなども、楽しい。原の新宿=中央線と池袋+渋谷=西武+東急という対比も、こういう場所で語られると意外な光を放つ。斎藤の選ぶ論考、文章と、文学・生活の二分化は、この人の選球眼と時代把握のたしかさを感じさせる。
『展望』が担った意味あいとは何だったかと、この本を読み、いまの時点で考えれば、私の場合は、それが戦後思想ということの実質に重なる。「戦後文学」は一九五〇年代に一つの形を取ったが、それと明らかに異なるものとしての「戦後思想」は、むしろ一九六〇年代にその意味あいを結晶化させ、一九七〇年代、拡散しつつ、再度の展開の途についたのではなかったか。『世界』『中央公論』と比較しての短命さ、竹内好、鶴見俊輔、吉本隆明から石牟礼道子、山口昌男、小田実、真木悠介へといった執筆陣の顔ぶれの移動と世代的な広がりのうちに、編集委員たちの選択は、そういう方向性を読者に示唆する。
収録論文では、作田啓一、中野美代子、川本三郎などのもののほか、斎藤選の小田実、篠田一士の論、筑豊、三里塚、水俣の現場からの声に清新な息吹を感じる。と同時に、橋本の提言から見えてくる経済学、政治学の方面での書き手把握の弱さが、この雑誌になかったのかどうか。私などのよく知る領域では、非左翼系の江藤淳、福田恆存、鮎川信夫、あるいは逆に花田清輝、小沢信男、大西巨人など日本共産党系の書き手が、より積極的に起用されていればどうだったかなど、この雑誌の狭さも、浮かんでくる。
第二期『展望』は、『朝日ジャーナル』とともに、思想的、学問的、メディア的なバックボーンなしに、手ぶら・丸腰の身軽さで、六〇年代と七〇年代半ばまでの日本の戦後の高度成長期、およびそれ以後の思想的課題に応えようとした。その姿勢が、太宰治の『人間失格』、大岡昇平の『野火』を掲載した第一期の身軽な硬派ぶりからの直伝であったことも、今になると、見えてくる。
(かとう・のりひろ 評論家)
『一九七〇年転換期における『展望』を読む』 詳細
大澤真幸 斎藤美奈子 橋本努 原武史 編
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