三省堂数学教科書の電子化/三宅なほみ

 三省堂の高等学校向け教科書の執筆に関わっていたことがある。高等学校の数学でコンピュータを活用することになり、そのテーマで森毅先生とある本で対談させて頂いたことが契機であったらしい。
 三省堂の高等学校数学教科書というと、「先生が参考書として一揃いお持ち」という評判が高かったように思うが、未だに根強いファンがおられる。実は三省堂の数学教科書を電子化して公開しているのだが、その利用申請者が公開以来毎月数件のペースでずっと続いている。公開を始めて三年、今でも一月あたり二件とか三件とかが続いて申請が途切れたことがない。ずっと密かに売れ続けた紙媒体の教科書とどこか似ている。
 公開しているのは、出版された教科書のうち、二回の学習指導要領の改訂を挟んだ教科書である。「の付き」と呼ばれた「高等学校の数学Ⅰ」以下「確率・統計」まで続く六冊、「明解」シリーズの「数学I」「数学Ⅱ」二冊、タイトルこそ素っ気ないが表紙のデザインが斬新な「数学Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」「A」「B」「C」の六冊を加えた十四冊と、対応する指導資料十四冊である。営利目的に使用しないという条件付きで閲覧・使用に供している。http://coref.u-tokyo.ac.jp/sanseidomt_shinseiというURLで今でも利用申請を受け付けている。電子化に際しお世話になった全ての方に感謝したい。
 電子化しようと考えたきっかけは、編集会議そのものの実態にあった。三省堂の教科書の編集会議というのは、数学の教え方や学び方について語り合うのがご飯より好きな方たちの勉強会のようなもので、大体土曜日の午後から始まり日曜昼までというパタンが多かった。その回で検討する単元の原稿を書いてくる方はひとりではなく、二、三名いる。しかもお互い考え方が違う。それに対し、十数名がこれまで自分で考えたり教えて気付いたりした経験を基に検討し合う。というか各自の考えを披露する。話合いは当然原稿の検討から少しずつ離れて、なぜこの単元をこの順序で教えるか、どう導入してそこからどう展開すべきか、この単元が扱っている数学的な概念や理念は何か、そもそもこの単元は教えるべきか、といった議論に深まって行く。途中から数学研究者の講義になることもしばしばで、議論は必ず深まるが、同時に会議は編集会議ではなくなる。典型的にはそのうちに純粋数学を志向する人たちと、物理学や統計など異なる分野を専門とする人たちとにわかれて、一体数学を教えるとは何をすることなのかという根本的な議論に立ち戻るという贅沢さで、毎回最後には原稿は事務局に一任となっていたような記憶さえある。更に贅沢だったのは、その一回一回の編集会議に提出された検討案や「関連する教材」の数と質である。だから、電子化のめどがついた時、数学教科書を電子化して、そこからあの豊富な検討資料や教材の該当部分を直接参照できるようにすれば、それがコンピュータを使った未来の教科書の一つの形になるかもしれないと考えた。もう一つ、電子化すれば複数の教科書の間でその内容が相互参照可能になるから、二回の学習指導要領の更新を経て改訂された変遷を全体として見渡せる俯瞰図のようなものができるのではないかとも期待した。そんな俯瞰図から新旧の内容を比較検討できると、高校生が、与えられた教科書の枠を越えて自分の好きなテーマを複数の視点から考え直せる教材になることも想像した。
 ところが、実際に編集長の大久保さんに連絡をしてみて驚いたのは、出版社にはそういう関連資料を保管しておく慣例も余裕もないのだそうで、私が期待していた資料はほとんど何も残っていなかった。あの熱い議論のほんの一部にせよ電子化できたのは、その一部が指導書に残された場合だけ、である。
 教科書の復刻版は珍しい。それに比べれば現行教科書の電子化は近い将来起きて当たり前という所まで来ているけれど、自分が使っていない教科書やましてや他の教科の教科書、さらには過去にあった教科書へのリンクが張り巡らされていて活用できるという話はほとんど聞かない。こういう「新しい」教科書の使い方、もしかしたら復刻版の電子化に期待出来ないものだろうか?
(みやけ・なほみ 東京大学教授)

『高等学校の微分・積分』 詳細
黒田孝郎/森毅/小島順/野崎昭弘ほか著

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