大塚ひかり・江川達也対談 源氏物語はやっぱりエロい

写真・森幸一

原文主義の二人
大塚ひかり・江川達也対談 4 大塚:江川さんがすごいのは、ぜんぶ原文がコマの中に書き込んであるんですよね。
江川:基本的に俺は、訳文は不要という気持ちがあるんですよ。原文だけでいい。
大塚:原文主義っていうことですね。
江川:そう。一言一句訳してはいるけど、訳文は、みなさんのためのナビゲーション。俺は本当は、原文だけで読んでほしいわけ。
大塚:同じだ! 私も、古典は原文を読むべきだというのが基本姿勢です。だから「ひかりナビ」。これもナビゲーション。今回全訳をして、取材を受けると、必ず聞かれるのが、「過去にいろいろ文豪が名訳を出している中で、何を参考になさいましたか」。全訳というと文豪がやるものという頭があるじゃないですか。
江川:谷崎潤一郎とか。
大塚:私はいつも江川さんを挙げてます。
江川:それは絵でしょ。
大塚:いや、考えも。訳もいいし。案外文豪の訳って参考にならないんですよね。
江川:全然ならない。その文豪の知的レベルと性的経験知を計るぐらいですよ。
大塚:たぶん私が文豪の訳を参考にできなくて、江川さんを楽しめたのは、さっきも言ったけれど、紫式部がダイレクトには表現しなかった「性」を、漫画では絵にせざるを得なかったからだと思います。文章表現では絶妙に性表現は隠されているけれど、分かったほうが断然面白いもん。
江川:性描写もそうだけど、文豪の訳読んでも、物の位置関係とかがさっぱりわかんない。言葉がただ流れちゃって何にもないんですよ。俺は、絵ですからね。全部わかる。
大塚:例えば朧月夜(おぼろづきよ)が登場する場面でも、どの方向から来るか、それを月がどちらから照らしていたかとか、空蝉(うつせみ)と軒端荻(のきばのおぎ)を源氏が覗くシーンの位置関係とか、絵が付くというのは、ただ事じゃないですよ。
江川:俺の場合、まず、原文のリズムでコマを割ってその中に原文を写本するんです。その時点では、現代語訳はない。次に、絵を入れる。訳は絵を入れたそのあと最後。絵を見つつ、現代語の台詞を考えるんです。
大塚:へえええー!
江川:最終的には、原文で漫画を味わってほしいんですよ。俺に言わせれば、現代語訳は不可能なんです。原文の、この、ほっと胸にくるような感触というのは、今の言葉には残ってないから。リズムとか、韻。音の感触とか、すんごい、いいんだもん。
大塚:本当に、原文の音の感覚はいいですよ。私ね、音読しながら訳しているんですよ。その世界に入り込みながら。訳文の現代語も、あまり原文より長くならないように、リズムや、音数も、原文を尊重しながら訳しているんです。それに、紫式部が随所で、醒めたつっこみをしているのも原文の面白さで、そこらへん、さっき言った、「ひかりナビ」で、詳しく解説してるんです。そりゃ、原文で読むのが一番いいんだけれど、ドストエフスキーとかも、原文で読む人はいないわけだから、その古典が表現している世界観が分かればいいという思いも一方ではあって。でもナビでも、訳文の中でも、これぞという原文は、“ ”で囲って、原文の単語そのものを掲出しているんです。ナビで説明しつつ、やっぱり原文のもつパワーを感じてほしいと思って。当時も、音読して楽しんでたわけじゃないですか。
江川:そうそうそう。例えば英語でしゃべると、日本語しゃべっているときと性格が変わるとか言うじゃないですか。それと同じで、発想が変わっちゃうわけ。
大塚:やっぱり古典脳になるんですね。
江川:そう。脳というか、体全体がこの言葉に馴染んでくると、ぎずぎずした現代人ではなくなるんです。ゆっくり時間が流れてきて、のほほーんと、ほのぼのしてきますよね。
大塚:「いっとき」が「二時間」みたいな世界になるんですね。