八ッ場ダムは止められるか?/森 まゆみ
これで「やんばダム」と読む。利根川水系吾妻(あがつま)川流域に計画されている東日本最大級のダムである。自治体で言うと群馬県長野原町。目的は当初、利根川下流域の洪水対策などの治水、首都圏に水道水を供給するなどの利水だった。
知れば知るほど驚くことが多い。一九四七年のカスリーン台風で起きた洪水がきっかけだった。一九五二年、私が生まれる二年前に構想が浮上し、いまも完成をしていない(つまり半世紀以上、必要がなかったということじゃないか?)。総事業費は四六〇〇億の予定。長期化と関連事業とであわせて八八〇〇億くらいになる。その事業費には水を供給してもらう関係上、われわれ首都圏の住民の税金もつぎ込まれている。都の公金支出額は建設事業費のみで六三五億円、話題の新銀行東京への追加出資より多いが話題にもなっていない。しかも最終的には合計負担額は一〇〇〇億をこえるだろうといわれている。
周りの友人に「やんばダム、知ってる?」と聞いても知らない人、そんなのあったなあという人が多いのだが、じつは関東に住む私たちの生活に深い関係がある。私たちのために造るというのが大義名分なのだから。そしてこのダム計画はダム建設が計画されている現地の人を長らく苦しめてきた。
私にしても無知であった。四半世紀前、乳幼児を二人連れて、草津に車で行ったことがあった。草津に至る一本道を通っていたときのこと、道の両側に「ダム反対」ののぼりが林立していた。へえ、こんなところにダムができるんだ。「川原湯温泉てもうすぐダムに沈んじゃうんだって。入っていかない?」と提案して夫に即座に却下された、その程度。
「もうすぐ」には沈まなかったダムに再会したのは、三年ほど前、文化庁の文化財保護分科会であった。「名勝吾妻峡の向こうにダムサイトが見えてしまう」という案件がでてきた。名勝というのは「公園、峡谷、湖、沼、山岳などのうち、我が国の優れた国土美として欠くことができない」として国によって指定、保護されているものである。吾妻峡は一九三五年に指定された。文化庁は一九七四年、「渓谷の本質に影響が及ぶ場合は不同意」と表明し、これを受けて当時の建設省はダムを六〇〇メートル上流に動かすことにした。それでも吾妻渓谷の四分の一はダムに沈み、沈まない所も多大な影響が出る。いよいよ本体工事も真近になり、現状変更の許可が文化庁に求められた。それでも前方ににょっきり高さ一一六メートル、幅二八五メートルのコンクリートのダムサイトが見えてしまう。景観の専門家を現地調査に派遣したが、やむを得ないとの結論を出したそうで、その場では了承ということになった。おおよそ、国土交通省の予算は年間六兆二五〇〇億円、それに対し文化庁は一〇〇〇億程度、声の大きさが違う。納得できなかった私は現地へ赴くことにした。
隣りの六合(くに)村が平成一八年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのを記念してのシンポジウムに招かれたのである。群馬県では明治五年に建てられた官営富岡製糸場を中心に、日本の近代を支えた絹、すなわち養蚕、製糸、織物の遺構の世界遺産登録を推進しようとしており、六合村では歴史的景観を保全整備し、住民たちは、いまでは途絶えた養蚕を復活しようと意気軒昂であった。村のビジョンがはっきりしているので過疎の村でもみな元気なのである。
しかし車で一歩、長野原に入るとそこは、まだできていないダムに沈む鉄道や道路の付け替えのための工事車両でごった返していた。美しい農村景観の真ん中に巨大なコンクリートの柱がたち、橋が架かる。代替地の造成と無惨に削られた山肌。隣村とのあまりの「景観格差」に私は息をのんだ。木が切られ、山肌は削られ、砂防ダムもできている。小学校はすでに移転して、三〇人ほどの子供の数からすると不必要なくらい大きな立派なのが新築されている。住民の口は重い。
かけあしでこの五〇年をみていこう。五二年に構想が出されたものの、五三年、吾妻川の水質は酸性がつよいので飲用不適とされた。一九六三年、草津中和工場が完成、操業して、八ッ場ダム計画が再浮上、全水没の川原湯温泉を中心に住民の反対運動が激しくなった。しかしここは福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、首相を務めた三人の大物政治家の地盤という保守王国。政治家の思惑に翻弄され、長い反対運動で地域のなかに不信が生まれる。果たしてダムはできるのか、できないのか、生活が落ち着かないものとなっていくのは、成田空港でも福井空港でもみられた通りである。
ついに一九八五年、長野原町は群馬県の提示した生活再建案を受け入れる。それは現地での生活再建、水没線より上の山の中腹に新しい集落を作るといういわゆる「ずり上がり方式」だった。
一九八六年七月、八ッ場ダム建設基本計画が決定される。しかし代替地の造成はいっこうに進まない。それも急斜面なので切り土のところはともかく、新しく土を盛るところは地盤の緩さ、崩落の危険が指摘されている。リゾート法が制定されるころで、ダムをつくる側は住民の歓心を買おうと一〇〇〇人収容の観光会館だのクアハウスだの、バブリーな飴をぶらさげていた。
いっぽう九〇年代からは節水、工場の移転などで首都圏は水あまりが続き「利水」の名分はなくなった。「治水」についても上流で森林が育ち、保水力も高まり、カスリーン台風のような被害は起こらないだろうと、国土交通省の出す試算データを疑う専門家が多い。
私のそのとき泊まった民宿雷五郎の先代豊田香さんは反対運動の先頭に立っていた人である。娘さんからそのころのお父さんの苦しみを聞いた。弟の嘉雄さんと反対闘争の柱となった。
ダム阻止の使命担いて町議席得たるも病に倒れ慚愧す
豊田嘉雄
そもそも川原湯温泉は酸性のつよい草津に滞在したあとの「仕上げの湯」としてみな歩いてきた。第二次大戦中に草津近郊で鉱山が発見されたのをきっかけに吾妻線が引かれ一九四五年渋川-長野原間が開業、それから川原湯は栄えたという。全水没は川原湯と川原畑、一部水没が横壁と林、長野原地区である。
しかし補償交渉は難航し、補償基準の調印にこぎつけたのは実に二〇〇一年、代替地分譲基準の調印は二〇〇五年。というのは代替地の地価は最低でも一〇万、川原湯の移転先とされる打越地区では坪一七万と、周辺価格と競べてびっくりするような高さである。(地震で崖の崩落した玄海島の代替造成地は坪九〇〇〇円)。しかも造成は遅れ生活の見込みはたたない。一九七九年に川原湯に二〇一戸あった世帯は二〇〇七年六三戸と三分の一以下になり、しかも代替地への転出を希望する家は三六戸にすぎない。
二〇〇八年夏、私は再び、朝一〇時上野発の特急草津に乗り、川原湯温泉で下りた。なんだか去年より急ピッチで工事は進んでいるようである。山の中の諏訪神社がずっと高いところに白木で新築されていた。いかにも野仏といういい感じに並んでいた仏像は模造石のなかに整列させられている。文化も歴史もあったものではない。吾妻渓谷だけはそのままだった。これも国土交通省はダムができれば川の水の量が増え、景観が改善される、といっている。枯れた滝に水道水を流して悦ぶような話だ。
もひとつ言うと、名勝の他、川原湯岩脈という希少な地層があり、その臥竜岩、昇竜岩は一九三四年に天然記念物に指定されている。これもダムができれば水没してしまう。
この日は川原湯の混浴の共同浴場につかり、山木館に泊まった。近頃まれなひなびた宿である。木枯し紋次郎かなんか出てきそうだ。湯もよし、料理もよし、夜には星が出て、吾妻線の最終列車が山の向こうに上っていくのが見えた。宿の奥さんが「銀河鉄道、みて下さいね」と言った意味が分かった。静かになったら今度はムササビが窓から見えるという。夏休みで泊まった家族連れは大喜びであった。
こうしたたたずまいは何百年もかかって醸し出されたものである。昼に川原湯の代替地をみてきたが、温泉はパイプで給湯するとはいえ、木もない平らなニュータウンのような代替地に移って果たして客は来るのだろうか。
土地には「もうできると決まったものを、今更東京から来て反対なんてさわがないでくれ」という人もいる。かと思うと未来を考えて土地を売らない人もいる。
できるとは決まったわけではない。民主党はマニフェストでダム建設中止を掲げているし、共産、社民、新党日本などもダム反対である。西日本最大級のダム川辺川ダム建設には熊本県知事が反対を表明、関西四府県の知事も大戸川ダム建設反対を表明、選挙で自民公明が負ければ政治決着で中止もあり得る。やめるほうが自然のためにも観光のためにもよければYes, We Canなのである。
東京はすでに水あまりだし、治水はもっと効果的な新しい技術がある。上流にダムを造る治水より都市部のゲリラ豪雨対策の方が緊急不可欠ではないか(この八月、雑司ヶ谷で増水により流され、下水道工事の作業員たちが五人亡くなったのは人災である)。役人の面子や義理で「時のアセスメント」に耐えないダムを造っては百代の禍根だ。喪った自然は回復できない。私は都民として八ッ場ダムに責任がある。現地の住民の生活を悩ませながら、ともに考えてこなかった責任がある。
私のふるさとは 今 消えようとしている
私の生活している家は 沈もうとしている
私の耕している畑は 沈もうとしている
私の泳いだ川は 消えようとしている
私の学んだ木造校舎も 沈もうとしている
私の立っている雑木林は 消えようとしている
私の歩くこの道も
私の好きな 温泉も 鉄道も 赤い鉄橋や丸木橋も
全ての物が 消えようとしている
私の ふるさとは 今
自然は
消えようとしている
ダムの底に
(豊田政子「ふるさとは 今」)
この稿をお読みになった方は、サイトなどでも自分で学んでほしいし、できたら見に行って温泉につかって、考えてほしい。私は文化財保護活動家の立場から、名勝吾妻渓谷と天然記念物川原湯岩脈の破壊に反対する。また環境保全活動家としても、上流の自然を破壊せずに、下流の下水道合流方式を見直し、雨水を利用することを提唱する。そもそも八ッ場なんて現地でも知られていないような小さな字(あざ)名である。わざとこんな名前を付けたのではないだろうか。
私はこれを名勝吾妻渓谷破壊ダムと呼ぼう。
(もり・まゆみ/地域雑誌発行人・作家)
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