ちくま学芸文庫「日本の百年」完結記念 鶴見俊輔インタビュー

近代をつくった幕末明治の日本人

鶴見俊輔(評論家 /「日本の百年」編集委員)、中島岳志(北海道大学准教授)

弱さを見つめる先に
中島 明治維新の巻のタイトルにあえて「御一新」という言葉を使われていますね。
鶴見 私は、それこそ昭和の小学校ですから、「明治維新」ですが、代々の江戸の人間は「御一新」という言葉を使う。それを活かしたんですよ。ああいう人たちは明治の変革を「御一新」と捉えたんだね。 「御一新」を身を挺して引っ張った人は、坂本龍馬にしろ、高杉晋作にしろ、江戸幕府体制がつくった人なんだ。
 この人たちが持っていた考え方というのは、まず、日本の弱さに対する敏感な感覚です。これはべつに西洋学を必要としない。孫子の兵法だってそうでしょう。「敵を知り、おのれを知れば、百戦して危うからず」。自分がどういう状況に立ったときに弱いかを想定して考えるわけ。「こういうときに我々は決定的に弱い。それを何とか避けよう、避けるにどうするか」と。敵がどのぐらい強いか、何に長じているかというのも、もちろん大切で、両方知れば、百戦して危うからず。死神に対しても負けることはない。そういう考え方です。
 例えば高杉晋作。彼は軍艦を買いに上海まで行って、太平天国にも接触しているし、イギリスにちょっと土地なんて貸したらどれだけのことをされるかも知っている。長英戦争に敗けたとき、彼は長州側の首席代表になった。イギリス側は彼を「魔王【ルシフアー】のように傲然としていた」と描写しています。イギリスは例によって下関付近の島の租借を申し入れたのね。すると彼は急に天照大神からの日本の歴史神話を滔々と語りだした。「このように由緒正しい日本であるから、そんなことは許されない」というわけ。ただ「ノー」と言うのではなくて、天照大神からの話を一席ぶって歴史を楯に引き下がらせてしまう。通訳泣かせの智慧です。それほどの人間だったんだね、高杉は。
中島 「御一新の嵐」の巻は漂流民の話から始まります。冒頭の文が面白い。「漂流は、人間が一個の物質として、みずからの意志にさからって地球上を自然の力によって運搬される状態である。漂流は、同時に、人間がこの状態にいったん落ちた場合に、みずからの才覚によって徹頭徹尾生きようとする場面でもある」。
 偶然性、自然の力によって別のところに運ばれてしまった人たちが、自ら生を切り拓こうするところから始めた意図は、どこにあったのでしょう。
鶴見 彼らは帰国しようとしますが、幕府に砲撃されて引き返して、もう終生、日本に戻ってこない。アジアの、シンガポール辺りに住んで、死んだ。やはり、そこから見たいという気がするんだよね。  そのなかで日本に早めに戻ったのがジョン万次郎。死を賭して帰ってきた。鎖国だから、入国すれば首を切られて当たり前なんだけど、お母さんに会いたい一心で。
 彼は偉い人ですよ。何となく私は、畏友小田実が、ジョン万次郎と肩を並べられる人間だという気がしている。
 どうしてこんなことを言うかというと、ジョン万次郎と小田を、百五十年挟んで並べてみると、私の歴史感覚から見て、小田のやったことは非常に万次郎に似ている。
 後年万次郎が、自分を救ってくれた恩人ホイットフィールドに、最後に出した手紙の最初の一行が「ディア・フレンド」。これが書けるというのが重要です。つまり、この人は自分の命の恩人なんだよ。だけど、通っていた教会が白人でない万次郎を拒否したとき、自分もその教会をやめてしまうような人。「ディア・フレンド」なんだよ。
 小田の態度は、それに似たところがあるね。あんな不平等な安保条約のなかでも、小田の目指したものはそういうものだった。
中島 同じ巻で、開国するかどうかというときに、幕府の諮問に諸大名が答えていて、「どうぞよろしく」「右に同じです」なんて返答をしていますね。きちんと主張している大名ももちろんいるのですが。
鶴見 それはね、坂本龍馬や高杉晋作のように、薩摩、長州、土佐にはほんとうの意味でのエリートがいたんです。それが結局全体を引っ張って、一方幕府は腐っていく。結局腐っているものが潰れたのだというのは、葦津(あしづ)珍彦(うずひこ)の考えだね。
中島 葦津珍彦は、戦後右翼の中心人物と言われた人ですね。鶴見先生と彼の見方はどこかで通底していませんか。恐らく世の中では右と左に見られると思いますが、極めて近いところにあるように思います。
鶴見 たしかに葦津の影響は受けているかな。腐っているものは倒れるのが当然、幕府にいくら知恵のある者がいても、幕府自体が腐っているのだからもうダメだと。
中島 この辺りの捉え方は、やはり葦津さんと非常に近いところがありますよ。彼も日中戦争には非常に批判的ですし、頭山満も批判的なんですよね。大東亜戦争はちょっと別ですけど。そういう捉え方が、いま右と言われているところから失われていて、非常に危なっかしい気がしますね。
鶴見 いまの日本政府も腐っているけどね(笑)。ただ、潰すだけの力が日本社会の中にないんですよ。

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