「息を奪われる」ことが太宰の供養となる/齋藤 孝
いちいち過剰にレスポンスしながら、次の一文に食いついていく。これが私の考える「太宰治を読む作法」だ。
太宰は、稀代のサービス精神にあふれた(というかサービスを宿命として背負った)作家であり、その命がけのサービスに私たちは、反応し応答するのが筋というものではなかろうか。
「んなわきゃないだろ!」というツッコミ読みから、「トカトントンみたいの、あるある」といった同調読み、「だははは」という爆笑読み、「このどうしようもなさがスキ」という惚れこみ読みまで、体ごと反応するのが、太宰の作品には似合う。
太宰が若い人に特に人気があるのは、若い方が、サービスに反応できる「レスポンスする身体」が本来あるからだろうか。
本来、と書いたのは、最近の学生さんは二十年前と比べておとなしく、「レスポンスに乏しい」傾向があるからだ。
これはもしや大学入学までに太宰作品をあまり読んでいないからではないか、と思い数百人に聞いた所、教科書の作品を別にすれば意外なほど読まれていなかった。
もはや太宰は「十代のはしか」ではないのか。これでは、心の機微に体ごと反応する習慣が身につかない。事態を憂慮した私は、太宰普及委員を自ら買って出た。
総合指導をしている幼児番組『にほんごであそぼ』では、「メロスは激怒した。」、「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。」、「富士には、月見草がよく似合う。」といったキレのいい言葉を幼児になじんでもらっている。
『若いうちに読みたい太宰治』もこの普及活動の一環だ。有名な作品はもちろん、私の好きな「饗応夫人」「眉山」「カチカチ山」といった作品も取り上げさせてもらった。
「ね、ここが笑い所だよ。おもしろいでしょ」などと、誘うような強いるような微妙なスタンスで、粉をふりかけてみた。
太宰は心のツボをあちこち押してくる。泣き、笑いから、コンプレックスやへたれツボまで、読みおえるたびにあちこちがほぐれている。人間観を、認識としてではなく、自分の体感として感じさせてくれる所が太宰のうまさだ。
「駈込み訴え」が口述筆記で一気に語られたように、太宰の日本語は、異常なまでに流れがいい。言葉の一つひとつは硬質なのに、今湧き上がった泉の水を飲む心地よさがある。
秘密は、呼吸だ。一文一文を息がつないでいるのだ。所どころ声に出して読むことで、呼吸はいよいよはっきりする。
太宰の文章はすべて「息の裏地」をもっている。その息づく日本語は、読者の息を乱し、奪い、リードしていく。その強引さは、やさ男の風貌に似合わず(もしくはその風貌を利用して)暴力的だ。この息が奪われる感覚を快感として味わってほしい、とレスポンスの弱い若者に接するたびに切に思う。
私の本と同時刊行の『女が読む太宰治』には、息どころか体の芯まで奪われた読書体験が満載だ。
「皮膚と心が溶けて心臓と脳味噌がえぐり捕られ、生きている事を感じた。」(佐藤江梨子)、「この手の男性に惚れたらズルズルと都合の良い女になってしまいそうです。(同時代にいなくて良かったです……)」(辛酸なめ子)、「冷たい人なのに、好きになってしまう」(香山リカ)、果ては「わたしは太宰の思うままだ。文章に頭の中をレイプされている。」「そうよ、そこそこ」「心の芯をギュッとつかまれ、すっごいエクスタシーだ」(平安寿子)に至る。「草葉の陰でそっと泣いてください」(高田里惠子)というセリフもすごい。このモテ方は尋常ではない。
しかも、男もやられる。雨宮処凛は、田舎の(エロ本とオナニーの話しかしない)男子高校生が太宰によって人生を語り始めた事件に遭遇し、「バカが物を考えている!」と驚愕した体験を書いている。
そう、日本には男女問わず若者を襲う「太宰感染爆発」の伝統があったのだ。私もこの感染伝統継承の一助となりたい、と感染者の一人として切望したのであった。
(さいとう・たかし 明治大学文学部教授)
『若いうちに読みたい太宰治』
齋藤孝著
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『女が読む太宰治』
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