歴史を理解してこそ現実を理解できる/王丹著 加藤敬事訳

 二〇一三年一一月、中国共産党は第一八回全国代表大会(一八大)を召集・開催し、新たな指導体制を確立した。一八大の開催期間中、わたしたちは、当局がその力を余すところなく注いで、慶祝と平和と安定の雰囲気を演出するのを目のあたりにした。しかし、別の一面に目を向ければ、当局は開会期間中の安全の問題で、憂慮と恐怖につつまれていたのである。
 一八大の期間中、北京の街頭は大いなる敵との戦いに臨んでいるがごとく、いたるところに警備のボランティアが配置され、天安門広場には大勢の私服ならびに武装の警察官の姿が見られた。あきらかに不安から恐慌を来たし、まるで「鶏や犬が垣をこえて逃げた」ような騒ぎであった。大いなる歓喜の日々であるのに、かえって気分は重々しいものとなった。それは、個人の誕生日にもなぞらえられよう。長寿を迎えた人なら楽しく気晴らしをするはずのものが、眉間にしわを寄せ、あたりに気を配っては視線をさまよわせている。家族が色とりどりのリボンを贈っても、首吊りを迫っているかに思え、バースデー・ケーキのなかにナイフが隠されているのではないかと勘ぐるのである。終始「楽しい会だね」と言ってはみるものの、人を見ればいらいらするし、いまにも癇癪玉が爆発しそうで、ともすれば家人を床に叩き付けんばかりである。そのどこが、正常な人の態度といえようか? 六〇年間、馬齢を重ねたとしか言いようがない。
 わたしが高級中学(日本の高校にあたる)に入ったときは、ちょうど建国三五周年のお祝いの年であった。中学生になって、わたしたちも国慶節(一〇月一日)のためのリハーサルに参加した。当日の晩も、天安門広場の周辺で秩序維持の任を負わされた。だが社会の底を流れる雰囲気には、まだ調和と歓喜があった。街頭で銃に実弾を装した兵士を見ることなど決してなかったし、それに鳩を放してはいけないなどという禁令もなかった。以来三〇年が過ぎて、中国共産党政府は、みずからの指導で中国は興隆するにいたったと称している。それによって、全国人民から擁護と熱い支持を得るにいたったとも言う。自分たちは三〇年前に比べて、はるかに強大になり、はるかに自信に満ちている、と。それなら、一党の代表大会で、どうして、緊張がますます高まり、怯えるべきことがますます多くなるのか? 表向きは、盛大な催しの数々で意気軒昂を装ってはいるものの、内心は、「風の音や鶴の鳴き声」にもびくつき、神経を尖らせているのである。三〇年の歳月は、個人なら少しは成熟させてくれるものなのではないか? 一つの興隆する大国の政府にして、かえって、これほどまでに神経に分裂を来たしてしまったのは、なぜなのか?
 現在、きわめて多くの人々の目は中国の紙幣にのみ注がれている。中国の強大さを羨望し、中共の政権を仰ぎ見ている。しかし、それらの人々には、全く思いもよらないであろう。一党の代表大会の治安問題が、風の音、鶴の鳴き声にも怯える情況をつくり出している、などということが。一個の興隆する大国、ほとんど千秋万代にわたり政権を維持する一個の政府、それが戦争状態でもないのに、あたかも大いなる敵に臨むがごとくで、自己の人民にはほんのわずかしか顔を向けることがないのである。かれらは、いったい何を恐れているのか? そのように恐れるのは、いったいなぜなのか? ここから見てとれるのは、一つのきわめて単純な問題である。とはいえ、中国の外の世界が深く考えるに値しない問題だということではなかろう。古人いわく、「一葉落ちて、天下の秋を知る」と。党代表大会の治安措置は、実際は中共の内面を反映するものとして現れてきたと言えるだろう。それは恐怖である。あきらかにはなはだしい自信の欠如である。そうでなければ、自信に満ちた人が、ここまでヒステリックになれるなどと想像することができようか? 中共ほどに自己を理解していないものはありえまい。だから、わたしたちこそ、中共の自信のなさの依って来たるところを深く考えるべきなのである。わたしたちはみな、中共が内心では自信喪失しているのを知っている。同時に、かえって中共の統治に対して、中共自身以上に強い信仰心を抱いている人々もきわめて大勢いる。これは、中共の目から見てさえ、泣くわけにも笑うわけにもいかない倒錯した事態ではなかろうか?
 このような複雑な心理状態を理解しなければならない。そのためにも、まさに歴史をさかのぼっていく必要が生じるのである。六〇年の過去を顧みて、中共の執政は、結局のところ中国にいかなる影響をもたらしたのか? また、歴史上にどれだけの負債を累積したのか? この探究をなすことによってのみ、今日の中国という国家の具体的な情況、政権の心理状態を正確に見てとることができるのである。そのためにこそ、この本、わたしの『中華人民共和国史十五講』が存在する。そこには、伝えなければならないと思われる情報の、すべてがこめられている。
(おう・たん 台湾清華大学客員教授)

『中華人民共和国史十五講』詳細
王丹著/加藤敬事訳

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