遠い地平、低い視点 「ありのまま」ってなんだろう/橋本治
私は映画なんか見ませんが、『アナと雪の女王』が大ヒットして、多くの人が「ありのままの」とか「ありのままで」を大声で歌っていることは知っています。映画館では「みんなで一緒に歌おうヴァージョン」も上映されて、観客が声を合わせて歌っていたりして、「なんでツケマツ毛とかマツ毛エクステをしたまんま、“ありのままの自分”を称えるような歌を歌えるんだろうか?」と、私なんかは思います。
一九九〇年代には『素顔のままで』というテレビドラマがあったけれど、一九六〇年代末の「ありのまま」は真っ裸になることでしたね。「今までの自分の虚飾を捨ててステージ上で真っ裸の姿を見せる」という作品が、ミュージカルの『ヘアー』をはじめとしていくつかありました。そういう昔感覚からすると、「ありのままで!」とかを歌うんだったら、まず自分のツケマツ毛を取ってからじゃないのかなとかは思うのですが、どうもそうじゃないですね。今の世の「ありのまま」は、「私はツケマツ毛をつけたいと思っている、その欲望を持つ私をありのままに認めろ」と、どこかに向かって言っているんですね。
昔の「真っ裸になるありのまま」は、衣服に代表される虚飾、あるいは社会的な表象、従属というものを脱ぎ捨てると、その後に「まったき善」としての自分が姿を現すことになっている。だから、真っ裸になるのはいいが、その後は大変なことになる。そのまま生活を続けるとなると、一度脱ぎ捨てた服をもう一度身にまとわなければならなくなる。刑法とか風紀上の問題ではなくて、全裸で社会生活を送るのは不便が多いし、冬になると寒い。それで再び衣服を身に着けなければならないが、思想上の理由で全裸になった人間は、改めて衣服を身に着けるに際しても、思想上の整合性が求められる。一遍すべてを拒絶してゼロに戻ったものがそこから再スタートをするのは、とても面倒臭い。結局は、閉鎖的なコミューンで生活するような状態にもなってしまう。でも「ツケマツ毛をつけてもありのまま」派には、そんな苦労がいらない。根本が、「私はツケマツ毛をつけてばっちりメイクもしていたい」と思う自己肯定だからだ。
自分は否定されないんだから、「ありのままでありたい」という欲望は増殖する方向にしか進まない――「ありのまま」を求める限りは。人が「ありのまま」の方向に進むと、警察の出動は多くなるでしょうね。「毒ドラッグを吸って気持よくなりたい」と思う自分のありのままに従うと、とんでもない交通事故が増えるし、「幼い女の子を監禁して自分の妻に仕立て上げたい」という『源氏物語』以来の欲望にありのままになると、小学生の女の子は行方不明になるし、なんだかんだいろいろととんでもない人がいくらでも出て来る。「ありのままだけやってると、社会生活を営む上で不調和が生まれて来る」というようなことは、まず考えられないらしい。
「自分が第一」になっちゃうとそういう方向に進んでしまうのだろうけれど、驚くのは「自分は人に言えない厄介な秘密を抱えている」と思っている人がとんでもなく多いことですね。だって、そういう前提でもなかったら、「ありのままで!」や「ありのままの!」を歌うことがカタルシスにならない。日本人は圧倒的に「特徴を持たない普通の人」だと思っていたけれど、そうでもなくて、「生きて行く上で自分を押し殺して苦しがっている人」ばかりらしい。
じゃ、どうであればいいんだろうか? 今や日本人の多くが――子供まで、「押し殺した自分」という秘密を抱えているらしいが、そのことと、日本人の多くがあまり意味のあるとは思えないヘンな自己表現や自己主張にのめり込んでいることとは、関係がないんだろうか? ツケマツ毛をはずさず、つけたまま「ありのままの自分になっている歓び」を歌うというのは、「無意味でもあるような過剰な自己表現がないと、生きた気がしない」というのと同じようなことだとしか思えないのだけれど。
『アナと雪の女王』は日本だけじゃなくて世界的に大ヒットだというから、世界中に「ありのままの自分でありたい」と思う人は多いのだろうが、その人達はみんなツケマツ毛をつけていたり、「ツケマツ毛をつけたい」と思っているのだろうか? どっちなのかは分からないが、今の「ありのまま」派が「ツケマツ毛をはずすことがありのままの自分になることだ」と思っていないだろうことは、確実のように思う。
人間のあり方は変わって、今の「ありのまま」派の人は、きっとお小遣いでいろんな物を買って消費経済を動かすんだろう。ツケマツ毛の一件に関しては、どうでもいいと言えばどうでもいいが、「ありのまま」によって動かされる世界経済というのは、哀しいものだと思います。
(はしもと・おさむ 作家)
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