遠い地平、低い視点 ④ 言うだけなら簡単なこと/橋本治

 世界中でめんどくさいことが起こって大変ですが、よく考えてみるとこの揉め事のほとんどは内輪揉めですね。シリアの内戦がそうで、その派生物でもあるような「イスラム国」によるイラクの混乱も内輪揉めですね。イスラム圏内に宗派対立という内輪揉めを作り出す土壌があって、政情不安定なところがそれで内戦状態になる。長く続いているイスラエルとパレスチナもそうで、もう一つウクライナの問題もある。
 ウクライナ問題が特徴的なのは、それが「内輪揉め」の範囲を超えることを慎重に回避しようとしているところですね。クリミアを併合してしまったロシアが、ウクライナ東部の親ロシア派を支援しているか、したがっていることは明白だけれども、ある一線を超えられない。ある一線というのは「戦車を出動させる」ですけどね。
 第二次世界大戦からこちら、戦車が国境を越えたらもう「侵略」で「戦争」です。戦争が当たり前の時代には、いともやすやすと戦車が出て来た。ウクライナの場合でも「国境付近にロシアの戦車が待機していた」という話もあって、真偽のほどは定かではなかったけれども、結局のところ戦車は国境を越えて来なかった。戦車を出す代わりに、ロシアは住民投票という手段でクリミアをロシア領として併合してしまった。よそから非難されるのを承知で嘘臭い「民主的手続き」を踏むというのは、もう百年以上の長い歴史を持つやり方ではあるけれど、しかしそれと同時に存在していた武力による鎮圧は、「我々はまともな国家である」という看板を掲げているとこでは、もう出来なくなった。だから、天安門事件の時、自国民に対して戦車を出動させた、隠れた内輪揉め大国の中国だって、もう内乱状態にでもならない限り、戦車の出動はないでしょう。たとえロシアがウクライナに戦車を出動させても、苦しい言い訳が必要になる。
 なんでそういうことになるのかと言えば、「外聞の悪さを気にして」でしょうね。まともな国家なら外聞の悪さを憚らねばならないというのが、正面切っての武力行使に歯止めをかけている。「国家は一国で成立しているわけではない。国家は国家間の関係の上に成立している」ということがまともな国では定着してしまって、それが抑止力になっている。「だからよかったですね」ではなくて、「だから厄介かもしれないですね」の方に傾いたりするのかもしれない。
 わがままは人間の常で、放っておけばとんでもないところまで行く。だから、「それじゃだめだよ」と言われることが、とんでもなくわがままでありたい人にとっては窮屈なことになって、暴発しかねない危険性もある。ただ、そこで暴発してしまえばおしまいですけどね。
 数年前、北アフリカの方面で独裁政権が倒されるという事例が続いて、「ネットが民意を結集させた」とか言われましたが、その「ジャスミン革命」なるものが、その後は芳ばしくない。様々に不平を抱えている人達が、「原因はあそこだからあれを倒せ」で一つになるのは、通信手段の発達で可能かもしれない。でも、「倒した後をどうするか?」は、通信手段だけではどうにもならない。倒すために一時的に様々な人が結集出来ても、倒してしまった後では、様々な人の思惑が勝手に走り出すから、収拾がつかない。そして内輪揉めが始まる。そんなことは、遠い北アフリカの例を見なくたって、簡単に分かる。自民党政権を倒すために様々な思惑を持った政治会派が民主党という政党を作って、選挙には勝ったけれどもすぐに内輪揉めを起こして政権の座から転落してしまった例を知ってますから。
「一遍壊れてしまったらどうにもならなくなる」ということを知っているから、とりあえずは「外聞の悪さ」を抑止力にして暴発を回避しようとしている。でも、そのストレスのせいで、時々厄介な事態を惹き起こしてしまったりもする。
「まともな国ってどういう国だ?」というお疑いもありましょうが、「まともな国」である前に「まともな括り」というものがある。「我々はまともな括りの中にいる」と思えばこそ、その括りの中で様々な思惑がぶち当たって内輪揉めが起こる。「国」というのはその括りの一つでしかなくて、世界中が厄介なことになっているというのは、内輪揉めならどこにでも起こりそうで、でもその内輪揉めを解決するのはそう簡単じゃないからですね。
 内輪揉めの解決は話し合いしかない。話し合いで双方が譲歩して妥協するしかない。そして、ここで一番重要なのは「力ある大きなものほど大きく譲歩する」ということで、これがなければ話し合いなんかまとまらない。
 それだけのことなのに、「力ある大きなもの」は「より大きな譲歩」なんかしないんだ。言うのは簡単でも実際はだめというのは、こんなことですね。
(はしもと・おさむ 作家)

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