福嶋亮大/日本と中国のあいだ・2 陳舜臣のアソシエーショニズム


 今年一月に亡くなった陳舜臣は、中国に関する豊かな歴史的想像力を日本の読書界に植えつけた作家である。私自身、中学生のときに、たまたま家の本棚にあった氏の教育的な歴史小説やエッセイを片っ端から読んで大いに刺激を受けたことが、大学で中国文学をやるきっかけになった。人生の恩人と言っていい。
 陳舜臣と司馬太郎が大阪外国語学校の先輩後輩であり、後々も盟友であったのは有名な話である。とはいえ、何を歴史の中核と見なすかに関して、この両者には質的な違いがあった。司馬の歴史小説では、高田屋嘉兵衛にせよ千葉周作にせよ土方歳三にせよ、合理的な判断力と非合理的な情熱を兼ね備えた「個人」が主役となる。それに対して、陳は「媒介」を重視した作家であり、英雄の歴史の底部に無名の人間たちのネットワークを認めようとした。
 例えば、一九七〇年代半ばに連載された『秘本三国志』では、五斗米道の教祖・張魯の母が狂言回しの役目を与えられ、曹操や諸葛亮ら主役たちのあいだを経巡る。自由な「遊動性」(柄谷行人)を備えた宗教者の目を借りながら、陳は国家の崩壊の時代をいわば斜めに横切り、異国の交易の民(月氏)や匈奴の王族などのマイナーな存在も作中に取り入れていった。そこでは、暴力と狂気の時代をサバイブするための、弾力性に富んだ宗教と交易のネットワークが浮上する。
 あるいは、陳の六〇年代の代表作『阿片戦争』及び八〇年代の『太平天国』では、連維材という架空の商人の一族が経済的・人的な繋がりを武器に、歴史の流れに関わっていく。特に、『太平天国』における連家のネットワークは南方中国のアソシエーション(結社)、すなわち洪秀全率いる拝上帝会――その中心は貧しい客家であった――や秘密結社・天地会にも広がった。陳は国家が解体しつつある世界にこそ、生気溢れる宗教と交易のネットワークを書き込んだ。逆に、太平天国が南京を占領し、国家の形態に近づいた後は、醜い権力闘争が勃発して洪秀全たちの「千年王国」の幻想はむざんな悪夢に変わる……。
 このように、陳は五斗米道や拝上帝会といった「国家以前のアソシエーション」をロマン的対象として描いた。結社から中国史を見直すという態度自体は、昨今では珍しくない。しかし、国家や皇帝の支配から逸れる結社的世界を、陳のように魅力たっぷりに描いた作家は稀である。
 むろん、中国文明が国家や皇帝の「単一性」を強く志向してきたのも確かである。不思議なことに、中国では国内が何度分裂しても、一つの国家/皇帝に復帰しようとする力が働いた。なぜ中国がヨーロッパのような複数国家にならなかったのかという問いは、歴史学的な難問である。しかし、その一方で、自発的・多元的な地域共同体を正当化しようとする動きも、特に近世以降は目立つようになるだろう(例えば、近世中国最大の思想家・朱熹は「郷約」をもとにした地方自治の支持者であった)。君主制と共和制、中央集権と地方分権を往還する中国人は、犬養毅ふうに言えば「水陸両棲」(『木堂談叢』)の存在なのだ。
 陳の描く結社的世界は、この二重性を了解するのに役立つ。中国ひいては東アジアの「社会性」に関する今なお有効な歴史的知見を、私たちはそこから読み取ることができる。

(ふくしま・りょうた 文芸批評)

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