『奥の部屋』へと通じる道/若島正

 ロバート・エイクマンは、幽霊小説に対するわたしの趣味を形作ってくれた恩人の一人である。
 さまざまなジャンルの小説をペーパーバックで読むのがわたしの趣味になった、一九七〇年代の前半は、幸いなことに、幽霊小説および恐怖小説の英国産アンソロジーがシリーズで出ていた時期に当たる。パン・ブックスでは、名シリーズの誉れ高いシンシア・アスキス編の幽霊小説選を六〇年代に復刊していたし、三冊で終わるアスキス編の後も、ローズマリー・ティンパリー編で引き継ぎ、それとは別に恐怖小説選もハーバート・ヴァン・サール編で延々と出しつづけていた。そしてそれに対抗するように、フォンタナでも幽霊小説傑作選が一九六四年から、さらに恐怖小説傑作選が一九六六年からシリーズとして刊行された。そのフォンタナで出ていた幽霊小説傑作選の、第一巻から第八巻までの編者を担当したのが、ロバート・エイクマンだったのである。
 まだ読書経験の浅いわたしにも、エイクマン選のアンソロジーが他のアンソロジーと比べてかなり独特なものであることは感じ取れた。まず、英米のものに限らず、ロシアやフランスからも選ばれている。ウォルター・デ・ラ・メアの「シートンのおばさん」やM・R・ジェイムズの「学校綺譚」、アルジャーノン・ブラックウッドの「ウェンディゴ」のような定番に混じって、A・E・コッパードの「消えちゃった」やジョゼフ・ペイン・ブレナンの「浮遊術」、ジョン・キア・クロスの「エスメラルダ」といったような洒落たチョイスもある。そしてなによりも、「これが幽霊小説?」と不思議に思うような作品が多く選ばれているのが目立っていた。エイクマン自身の作品も一篇入っていることが多いのにも関係しているが、つまり全体として眺めると、エイクマンが彼自身の作品群を指して言った「綺譚」(strange stories)に近いテイストのものが主なのである。早い話が、わたしの幽霊小説に対する趣味はほぼこのフォンタナ版の幽霊小説傑作選によって形作られたわけで、今から考えてみれば、それはエイクマン流の「綺譚」へとただちに通じる道だったのである。本書の表題作になっている、「人形の家」というよくある題材をエイクマン流に扱って、まったく独自の夢幻的で不気味な作品に仕立て上げた中篇「奥の部屋」も、実はこのフォンタナ版幽霊小説傑作選で読んだ。いや、それを言うなら、わたしはウラジーミル・ナボコフの作品を初めてこの傑作選で読んだ。第七巻に収録されている「博物館への訪問」である。恐ろしいことに、エイクマンは幽霊小説に対する趣味だけでなく、ナボコフに取り憑かれて挙句の果てにはナボコフ研究者になってしまう、わたしの将来も決定したことになる。エイクマンの豊かな読書量とともに、鋭い眼力にも感嘆せざるをえない。
 ほとんど合理的な解釈が付けられない(本書に収録されている「待合室」は、そういう意味では例外的)、エイクマンの「綺譚」の世界は、幽霊小説あるいは恐怖小説という範疇になかなか収まりきらない。それはジャンル小説ではなく、エイクマンの世界観が夢の中に滲みだしたような小説である。つまり、エイクマンの小説の奇妙さは、エイクマンという人物そのものの奇妙さに由来しているわけで、そうなると近々翻訳の刊行が予定されているエイクマンの自伝まで読んでしまうことになる。フォンタナ版幽霊小説傑作選に出会ってからもう四十年以上になるが、エイクマンとその妖しい作品世界に魅せられているうちに、いつのまにか奥の部屋まで招じ入れられているような気がする。それはちょうど、自分自身がエイクマンの小説に出てくる登場人物になったように、避けることのできない必然的な運命だったのだろう。
(わかしま・ただし 英文学・京都大学教授)


ロバート・エイクマン著/今本渉編訳950円+税

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