「甘え」の構造──パターナリズムとポピュリズム/大内伸哉

最近の学生を見ていると、考えが「甘い」と感じることが多い。学生にとって単位を取ることは最大の関心事のはずである。だから、単位修得に必死になっているかというと、必ずしもそうではない。実は出席回数が多少足りなくても、あるいは試験の成績が多少悪くても、最後は先生に泣きつけば何とかなると考えている学生が多い。特に親しい関係にはなくても、知っている人であれば、泣き落としで何とかなると考えているようなのである。
 こうした「甘え」が実現できない人に会うと、話がわからないとすねたり、逆ギレして相手を難詰したりする。モンスター・ペアレントのような現象は、後者の一つかもしれない。
 土居健郎『「甘え」の構造』(弘文堂)によると、日本人は、親子関係を理想的なものとし、人間関係においても擬似的な親子関係を作りたがる。親子関係においては、無条件に「甘え」が許されるが、擬似的な親子関係においても、その仲間内であれば「甘え」が許されるのである。
 こういう「甘え」を許しあう社会を理想とする考え方が日本人の意識にあるようなのだが、そうなると困ったことも起こる。「甘え」には、理屈にあわないことが多い。たとえば、子どもが悪いことをしても、大人が、子どものやることだからと言って叱責せず「甘やかす」と、その子は善悪の是非を学ぶ機会を失ってしまう。こうして、無理を通して、道理をひっこめさせる人が増えてくるのである。
「甘える」国民に対しては、国家としては「パターナリズム(paternalism)」が有効である。パターナリスティックな政策は、国家の権威と表裏一体である。パターナリズムは、権威者による懐柔策という面もある。厳しい父が、その支配下にある妻や子に自分の言うことを聞かせるために、その利益に配慮をしてやるというのと同じである(「パターナリズム」の「パター」とはラテン語で父の意味である)。パターナリスティックな国家には、擬似的な家族関係がある。
 ところで、今日、日本経済は悪化し、雇用問題が深刻化している。会社も労働者も、政府に甘えて、何とか対策を講じるよう求めている(これを「甘え」と呼ぶのは適切でないという意見もありそうだが、「甘え」と見ている人も少なくなかろう)。ただ、ここには、パターナリズムの匂いが感じられない。なぜかというと、今の政府には権威がないからである。権威のない国家が国民を甘やかすというのは、ポピュリズムである。
  私は、国家が権威を使って国民の利益のためにパターナリスティックな介入をすることは、望ましくないと考えている。国民の利益のためといいながら、結局は、国民の自由や自己決定を制限することになるからである。
 しかし、権威を失い、パターナリズムもない国家が、国民に迎合する「甘い」政策を行うことは、国民の自由や自己決定を侵害しないとしても、それよりも大きな危険があるように思われる。それは国家の論理の崩壊である。
  国家の政策は筋を通さなければならない。それは、ときには「甘え」を許さない峻厳さも必要であり、それを実現するための権威も必要である。ポピュリスティックな政策に目を奪われない姿勢も、国民の側に求められる(ただし、権威を強く求めすぎると、ファシズムが登場する危険もあるので要注意である)。
 拙著『雇用はなぜ壊れたのか──会社の論理VS.労働者の論理』は、実は、雇用が壊れた原因を明らかにしようとした本ではない。むしろ、本書で描きたかったのは、雇用が壊れる過程における、会社の論理と労働者の論理の関わり合いについてである。それを明らかにすることを通して、筋の通った正しい政策はどのようなものかを模索していきたかったのである。それは、必ずしも会社にも労働者にも「甘い」ものばかりではないのである。
 正義の女神は、剣をもっている。母に対するように「甘える」ことは危険なのである。
(おおうち・しんや 神戸大学教授)

『雇用はなぜ壊れたのか――会社の論理VS.労働者の論理』
大内 伸哉
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