欧州黄泉の道行き/港 千尋

 いつのまにか村の外れにでてしまい、一本道をとぼとぼと歩いていると、どこから現れたか薄暗い風情を漂わせた男が立っていて、こんなことを言う。
「旅のお人、悪いことはいいませんから、引き返しなさい。このまま行けば、二度と帰ってはこられませんよ」
『グリム童話』のような世界では、忠告に耳を貸さない旅人がそのまま進んでいってしまい、大変な目に遭うわけであるが、まさにその先に何が待っているのかを見せてくれるのが本書である。「珍世界紀行」という、日本人ならすぐにわかるパロディがタイトルなので、軽い気持ちでついていってしまうそこのあなた、ご用心。珍なるものに触れようとすれば、それなりの覚悟が必要だ。最初から最後まで、ここに紹介される「珍名所」はふつうの観光ガイドが案内するような場所ではない。ひとことで言えば、ヨーロッパの地下に密かにかつ激しく蠢動している、不気味の系譜を探り当てる旅なのだから。
 それにしても、こんなミュージアムがあったのか、という驚きの連続である。わたしも二十年以上ヨーロッパ大陸をほっつき歩いてきたのだが、ここに紹介されている「物件」の多くを未だ知らないでいる。いや、ここにある「九十九箇所」をすべて訪ねた人間が果たしてヨーロッパにいるのかどうかさえ、疑問である。ましてそれらをカメラに収めた人は、地上でただひとりであろう。行き着くだけでも一苦労、さらにひとつひとつ撮影許可を取るだけでも大変な労力のはずであり、なんとかの歩き方、みたいなガイドとは訳が違うのだ。
 どこをとっても驚愕の内容を個別に紹介したい誘惑をなんとか抑えて、感想だけを書こうとしても、強烈なブツたちが脳髄をはいあがってきてどうしようもない。それらのなかにあって、ひときわ目立つのは骸骨たちである。いままでどこに隠れていたかと訝る向きには、ヨーロッパとは骸骨のうえにつくられた文明かもしれませんと答えたくなるだろう。そして地下納骨堂へとつづく道は、異端審問の拷問部屋へとつづく道、狂気の王が閉じこもる洞窟へ、さらに魔術が支配する異界へと消えてゆく道であり、その先はほんとうに行ってはいけない場所なのにちがいない。
 不思議なのは、こうした地下水脈をたどる世界が地上と同じくらい鮮やかで、生き生きとしていることである。どんな小さな展示室にも工夫が凝らされ、そこを作った人や管理している人々の愛情が感じられる。少なくとも当事者にとっては、どれもかけがえのない秘宝の数々なのであり、それを陳列する以上は、ルーヴル美術館や大英博物館に負けないくらいの知恵と情熱が注がれているのだ。その細部を、ぜひ見てほしい。そのために本書は全編カラーで印刷されている。ただのカラーではない。仮にそれがどれほど常軌を逸している、おぞましい過去であっても、不特定多数の観客に開陳するために編み出した、「展示」という文化は、まさにそのような知恵と工夫の細部から成り立っている。これらのブツたちの鮮やかな色彩は、ヨーロッパの大図書館に収められた歴史書の薄白いページとは、見事に対照的であるが、これもまた立派に歴史であり、歴史をどのようにして見せるかという人々の想像力のとてつもない発揮にちがいない。
 その意味で本書は、もうひとつのミュゼオロジーを扱った稀有な作品として、旅行者以外にとっても、いくつもの魅力をもっている。もちろんシチリアやプラハといった、いまだに辺境の響きをもっている場所へ実際に行ってみようというときにも、役に立つ。文庫版になったのは、まさにこれをバッグに入れて旅立とうという読者のためでもあるはずだ。
 行ってはいけませんよ、入ってはいけませんよ、と言われれば、行ってみたくなるのが人間の好奇心である。かつてヨーロッパ人は忠告に耳を貸さずあらゆる場所へと出かけていったが、そこで目撃したのは実は自らの姿だったのかもしれない。それをあける鍵はもうすでに、手のなかにある。そして青髭公の城は、いまも健在である。
(みなと・ちひろ 写真家)

『珍世界紀行 ――ヨーロッパ編 ROADSIDE EUROPE』 詳細
都築響一著

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