ゲリラ大明神/安野光雅

 ずっと前に、司馬遼太郎さんの「本郷界隈」というテーマの絵を描いていたとき、森毅さんにみせたら、「思い出した、東大紛争のとき、この交番の絵の石段のところで弁当を広げて食った」といいました。
 そのころ、森啓次郎という、朝日の編集者に「大学の先生が、みんなああだといいな」といったら、彼は威儀を正して「みんなああじゃなくちゃあいけません」といいました。そのころは、本は読んでいたし噂も聞いていたのに、直接会ったことはありませんでしたが、旧知の人のように思っていました。
『数学セミナー』の編集をしていた亀井哲次郎さんを介して、どこかで会ったのが最初でしたが、妙に話があったので、また会いましょう、といって別れたのでした。
 二度目に会ったときは、森さんが「湯河原のデスマッチ」と笑い飛ばすところの、長談義になりました。まあそれは、わたしとしてもあんなにしゃべったことがないほど、しゃべりにしゃべり、鶏鳴暁に及んだのでありました。しばらく寝て、また起きてしゃべるうちに森さんが話の中で数学大明神といったので、それを書名にして、読み物の本にしたのでした。座っているのもつかれるので、とうとう横になって、しゃべるときだけ起きて言うというデスマッチでした。
 その後、筑摩書房で「文学の森」という、文学を中心にした読み物を作ったとき、わたしと、井上ひさしさん、池内紀さんのほかに、毛色の変わった、森毅さんが加わって、それはたのしい編集会議をすごしました。彼は「今日からは数学の森ではなくて、文学の森になりました」といいました。
 続いて「哲学の森」を作ったときは、鶴見俊輔さんも加わって、一段とたのしい、幸せな会議となりました。わたしの人生にとって心に残る歴史でありました。
 時間がたったものだとつくづく思います。井上ひさしさんも去る四月になくなり、あの編集に携わった松田、中川という人たちも今は筑摩にはいません。
 専門分野以外を毛色の変わった、というなら、森さんよりもわたしの方が変わっているかも知れません。それなのに、「数学大明神」という本ができたのは、ゲリラと正規軍との違いによるものだからだと思っています。わたしは、おもしろそうなところだけを、無責任に攻めていれば、しばらくは戦線を維持できます。それにくらべて正規軍は、どこから来ても対応できるように守らねばならない。しかし森毅さんは、「そこのところは、調べてから明日返事をする」というようなことはしないのです。考えてみれば、彼もゲリラだったような気がします。
 森さんの経過は、お嬢さんから亀井さんへと、バトンタッチされて、わかっておりました。面会も、会話もままならぬことを知り、たまたま、描いていた森毅「すうがく博物誌」(童話屋)の表紙の絵を野昭弘さんと連名でお見舞いに送ろうとしていた矢先でした。残念ながら、霊前に供えることになりました。その絵はドンキホーテに扮した森毅、その傍を驢馬で行くわたしのサンチョパンサ、ただしわたしの驢馬には美女が、騎手に抱きつくようにして乗っているというものでした。
 森さんに、もう一度見せたかったし、もっと話したかった。
(あんの・みつまさ)

森 毅の本
『ベクトル解析』 詳細
『数の現象学』 詳細
『現代の古典解析  ─微積分基礎課程』 詳細

『ちくま文学の森』 詳細

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