「人は城、人は石垣、人は堀……」――二〇〇四年の出来事と大人の責任について/高橋伸夫

 『虚妄の成果主義』を文庫化することになった。
 今思うと、隔世の感があるが、二〇〇四年一月の出版当時は成果主義ブームの真っただ中だった。当時は、誰も成果主義に異を唱えていなかった。だから、この本がベストセラーになったことは、本人にも出版社(日経BP社)にも意外だった。
 本が売れ始めると、次から次へと新聞や雑誌の取材申し込みがあり、講演依頼があり、ひどい時(最盛期?)には、スケジュール帳の一週間分が、ほぼマスコミ取材と講演で埋め尽くされるような日々が続いた。
 こうしてマスコミ等での露出度が上がると、不思議なもので、それまで付き合いがなかった労働組合の関係から相談や情報提供があったり、何人もの現役コンサルタント、しかも成果主義を売っている側のコンサルタントからも内部情報が寄せられたりするようになった。
 私もある程度のことは知っているつもりだったが、出版後に、それこそ山のように寄せられた「内部告発」は、深刻すぎて、とても活字にできるような内容ではなかった。いまだに研究者の中には、成果主義の善し悪しを議論している人がいるが、その気さと無責任さにはあきれ果てる。
 企業の現場で、職場で、悲鳴が聞こえていたのだ。被害者が出ていた。とにかく「誰かが止めないと大変なことになる」というのが当時の状況だった。
 こうして、出版を決意した時から覚悟はしていたが、出版から一、二年の間、私は「急進的な反成果主義者」として、半ば活動家のような生活を送ることになった。そのために失ったものも多かったが、これまで四半世紀の学者生活の中で、世の中の役に立ったと思える数少ない経験の一つでもある。そして教訓も。
 実は、成果主義の深刻な被害を受けたのは、シニア世代ではなく、若者だった。管理職以上はもともと年功序列ではなく(「日本型年功制」はそもそも年功序列ではない。詳しくは『虚妄の成果主義』をお読みください)、ある程度の抵抗力もある。しかし、若者は……。
 思い出してもらいたい。成果主義になると、先輩が後輩を指導しなくなった。チームワークでやってきたことが個人プレーになってしまった。そして、まだ研修中といってもいいような状態の若手社員の失敗までもが、本人の責任に帰されてしまった。
 明らかに被害者は若者だった。しかし、成果主義を支持したのも、残念ながら若者自身だったのだ。多くの会社で、成果主義導入に反対したシニア世代のおじさんたちは、若い世代に対する悪影響を心配していた。実際、いくつもの会社から、成果主義がいかに危険かを若者相手に講演して説得して欲しいという依頼まであったのだ。
 成果主義ブーム当時の若手社員は今三〇代を迎えている。最近、三〇代で心の病や自殺が増えているというニュースをときどき耳にするようになった。人に頼らず、自分の仕事の成果に厳しいことが原因とも聞く。やはり、彼らの希望に任せてはいけなかった。
(たかはし・のぶお 東京大学大学院教授)

『虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ』 詳細
高橋伸夫

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