類例のない画期的なトライ/中森明夫

 太田省一氏の『アイドル進化論』は、そのタイトルどおり、非常に骨格の大きな著書である。「南沙織から初音ミク、AKB48まで」と副題があるが、一九七〇年代以後、現代に至る複雑多岐にわたる我が国アイドルの世界を総合的に語り尽くそうという試みだ。近年、およそ類例のない画期的なトライだと言ってよい。
 著者は東京大学大学院に学んだ社会学者であるという。社会学者のアイドル論と言えば、稲増龍夫氏の『アイドル工学』があった。同書が一九八九年刊であるから、およそ二十余年ぶりということになる(一九九三年、『増補アイドル工学』として、ちくま文庫の一冊になった時、私が解説を書かせていただいた)。
 在野のアイドル評論家の一人として、さて、二十余年ぶりに社会学者のものするアイドル論とはどんなものか? と興味を持って本書をひもといた。
 一読、意外の感に打たれた。第一章でいきなり一九六九年夏の甲子園大会決勝を沸かせた三沢高校の太田幸司投手の記憶について語られている。えっ、それがアイドルとどういう関係があるの と思わず、ツッコミを入れたくなった。だが、この冒頭に著者のアイドル観が集約して現れている。つまり、アイドルとは高校野球の敗戦ヒーローのように「結果ではなく過程に目を向けさせる」ものであり、ざっくりと言えば、我々の「未熟さへの欲望」に他ならないのだと。
 この観点から南沙織に始まる一九七〇年代アイドル、さらには松田聖子に始まる一九八〇年代アイドルへと論は詳述されてゆく。ところで意外なのは本書には「ポストモダン」「シミュレーション」「データベース」といった用語が一切使用されていないことだ。先の稲増の『アイドル工学』や大塚英志の『少女民俗学』、東浩紀の『動物化するポストモダン』等が参照されているのにもかかわらず、これらの書物に頻出するキーワードをあえて禁じているかのような感さえある。
 ニューアカ以後の使い勝手のよい横文字の説明原理を拒否して、著者が基底に置くのは自らの体験と記憶による実感であるように思う(「実は私もその番組を見ていたのだが……」等の記述が散見される)。アイドル文化を語るのに未熟/成熟の尺度を用いて、大塚英志ならここらで一発「成熟と喪失」(江藤淳)を引っ張り出してもこようが、著者はその種の文芸批評への傾きも示さない。『アイドリアン超人伝説』だ『ジャニヲタ――女のケモノ道』だといったブックオフのサブカル棚に埋もれていそうな(およそエビデンスを欠いた!)アイドル雑学本を参照項とする。その射程は女子アイドルのみならず、光GENJIからSMAPへ、さらには芳賀ゆいから初音ミクへといったバーチャルアイドルにまで伸びてゆく。
 著者は一九六〇年生まれ、まったく私と同い歳だ。アイドル草創の一九七〇年代を多感な十代の頃に送ったことが決定的だったろうと察する。なんだ世代論か? とも言われそうだが、そもそも著者は冒頭で「アイドルとは、本質的に同世代的なものである」と宣言していた。しかし、これを単に同世代間の懐かしもの語りと捉えてはいけない。
 現代の若者たちにはインターネットがある。キーワード検索すれば、どんな古いアイドルの情報でも手に入る。楽曲だってiPodにダウンロードできる。ユーチューブのおかげで七〇年代アイドルの歌唱映像すら視聴可能だ。だが、そこから抜け落ちてしまうものがある。どうしても捉えきれない大切なことがある。そう、それが“記憶”であり“体験”なのだ。
 本書の著者はアイドルに関する膨大な“記憶”や“体験”の大系を打ち立てようとした。それを次代へと文化継承しようとしている。その姿勢が素晴らしい。むしろ現代の若いアイドルファンにこそ読んでほしい。君たちが追っかけてるアイドルにも歴史があるのだ! と。四〇年にわたる我が国アイドルの変化の諸相を“進化”と捉える――その楽観性に同じ時代を生きたアイドルファンの一人として拍手を送りたい。
(なかもり・あきお 作家・アイドル評論家)

『アイドル進化論 ─南沙織から初音ミク、AKB48まで』 詳細
太田省一 著

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