情熱と信念の置きみやげ/柚木沙弥郎
いきなり自分のことを書き始めて恐縮ですが、この『少年民藝館』の著者外村吉之介先生が倉敷民藝館を創立した昭和二十三年前後は、私は倉敷の郊外に初めて世帯を持つことができ、民芸に夢中になっていた頃なので、我が家の食器も一つ残らず倉敷近辺の酒津や羽島の陶器で揃え悦にいっていました。戦後間もなくの頃でしたので、世の中も私自身も全てこれからという活気に満ちていたのです。ある日、外村館長が岡山県下の山間の村々を民芸の伝導に出かける時、うしろからトボトボと荷物持ちの小僧のように夏の炎天下を歩いて行きました。
その時初めてコカ・コーラという清涼飲料水をみました。館長もコカ・コーラをむのが何だか不思議な気がしたのを覚えています。村の公民館で館長の民芸についての講演会が始まるのです。そのような時最初に民芸の一例として必ず出てくるのが竹籠(『少年民藝館』二六頁2)です。館長が片手で籠の底に親指をかけて聴衆に向って差し出す手つきを今も懐しく思い出します。又別の伝導行だった冬の夜、たき火の火の粉が空をこがす中で見た村民達の演じる鬼剣舞の勇壮だったこと、又同じ地方だったと思うのですが花餅(三四頁)の頬笑ましい美しさ、この日本はアメリカには確かに負けたけれども民族の土台骨はこのように力強く美しく残っていることを実感し嬉しく思ったのでした。それまで東京以外あまり出歩いたことのない私にとって民芸の生れる地方の人々の暮しを見聞できたことは外村館長のおかげであり全く新鮮な経験となりました。
館長は民藝館の一隅で機を織っていました。そこへやってきた観客の親子がささやき合っている会話が、館長の耳に入ってしまいました。「坊やお前もよく勉強しないとあのおじさんのようになるよ」と。
もし現代で館長の実演に遭遇したのならそれは幸運であり、おそらく手仕事の興味から機のまわりに集って館長にいろいろの事を質問したりしたでしょう。その当時来館者の中には笊や瓶を見てこんなものをわざわざ料金をとって人に見せるとは、うちの台所や倉の中にゴロゴロしているよという人もいたのです。
少年民藝館は外村館長にとってこうした無理解な既成の大人をとび越えて将来社会を担う少年たちへの希望のメッセージだったのだという気がします。倉敷民藝館を訪れてすぐ気がつくことは作品に個人の名が一切示されていないことです。そこにはそれが作られた土地の名が記されているばかりです。それは館長が如何にそれらを作った人々――有名無名に拘らず――を愛おしく思い、敬愛の心をこめて、その作品があたかも生きているかのように会話を交したか、その心情の現れなのです。館長は、その作品達が著名な人の作であるとか、高価なものであるとか希少なものであるといった価値観を取り払って、直接人々に観て欲しいと、くり返しくり返し、言っているのです。館長が作品と交した会話の一例を『少年民藝館』の中からあげてみましょう。一三八頁「世界中に馬の彫刻や絵画やおもちゃは無数にありますけれども、その目をこんな大きく優しく表わしたものはほかにありません。これは馬の優しさを表わしたというよりも、馬を思う人の優しさを表わしたものなのです。馬は人をえてうれしさにあふれています」(「不思議な馬と人」)と。私はこの解説を読んでいると外村館長の肉声が聞えてくるような気がします。そこにはむつかしい文言は一切使われていません。館長が美しいと感じたものを美しいと簡単明快に言い切っているのです。館長が美しいものに出遭った時いつもするように、その場に坐りこんで喜ぶ姿が目に見えるようです。
民芸品を観賞物にしないで、生活の用具としてそれを使うよろこびを世にひろめ、又新しい今日の民芸を作りだす若い人々が現れることを期待する。そんな外村館長の情熱と信念を伝える彼の置きみやげともいうべき『少年民藝館』が今度筑摩書房によって再刊されたことは大変意義の深いことだと思います。
(ゆのき・さみろう 染色工芸作家)
『少年民藝館』 詳細
外村吉之介 著
ご注文方法はコチラ
トップに戻る
バックナンバー
- 第638号24年5月号
- 第637号24年4月号
- 第636号24年3月号
- 第635号24年2月号
- 第634号24年1月号
- 第633号23年12月号
- 第632号23年11月号
- 第631号23年10月号
- 第630号23年9月号
- 第629号23年8月号
- 第628号23年7月号
- 第627号23年6月号
- 第626号23年5月号
- 第625号23年4月号
- 第624号23年3月号
- 第623号23年2月号
- 第622号23年1月号
- 第621号22年12月号
- 第620号22年11月号
- 第619号22年10月号
- 第618号22年9月号
- 第617号22年8月号
- 第616号22年7月号
- 第615号22年6月号
- 第614号22年5月号
- 第613号22年4月号
- 第612号22年3月号
- 第611号22年2月号
- 第610号22年1月号
- 第609号21年12月号
- 第608号21年11月号
- 第607号21年10月号
- 第606号21年9月号
- 第605号21年8月号
- 第604号21年7月号
- 第603号21年6月号
- 第602号21年5月号
- 第601号21年4月号
- 第600号21年3月号
- 第599号21年2月号
- 第598号21年1月号
- 第597号20年12月号
- 第596号20年11月号
- 第595号20年10月号
- 第594号20年9月号
- 第593号20年8月号
- 第592号20年7月号
- 第591号20年6月号
- 第590号20年5月号
- 第589号20年4月号
- 第588号20年3月号
- 第587号20年2月号
- 第586号20年1月号
- 第585号19年12月号
- 第584号19年11月号
- 第583号19年10月号
- 第582号19年9月号
- 第581号19年8月号
- 第580号19年7月号
- 第579号19年6月号
- 第578号19年5月号
- 第577号19年4月号
- 第576号19年3月号
- 第575号19年2月号
- 第574号19年1月号
- 第573号18年12月号
- 第572号18年11月号
- 第571号18年10月号
- 第570号18年9月号
- 第569号18年8月号
- 第568号18年7月号
- 第567号18年6月号
- 第566号18年5月号
- 第565号18年4月号
- 第564号18年3月号
- 第564号18年3月号
- 第563号18年2月号
- 第562号18年1月号
- 第561号17年12月号
- 第560号17年11月号
- 第559号17年10月号
- 第558号17年9月号
- 第557号17年8月号
- 第556号17年7月号
- 第555号17年6月号
- 第554号17年5月号
- 第553号17年4月号
- 第552号17年3月号
- 第551号17年2月号
- 第550号17年1月号
- 第549号16年12月号
- 第548号16年11月号
- 第547号16年10月号
- 第582号19年9月号
- 第546号16年9月号
- 第545号16年8月号
- 第544号16年7月号
- 第543号16年6月号
- 第543号16年6月号
- 第542号16年5月号
- 第541号16年4月号
- 第540号16年3月号
- 第539号16年2月号
- 第538号16年1月号
- 第537号15年12月号
- 第536号15年11月号
- 第535号15年10月号
- 第534号15年9月号
- 第533号15年8月号
- 2019年8月号 No.581 目次はこちら
- 第532号15年7月号
- 第565号18年4月号
- 第531号15年6月号
- 第530号15年5月号
- 第529号15年4月号
- 第528号15年3月号
- 第527号15年2月号
- 第526号15年1月号
- 第525号14年12月号
- 第524号 14年11月号
- 第523号14年10月号
- 第522号14年9月号
- 第521号14年8月号
- 第520号14年7月号
- 第519号14年6月号
- 第518号14年5月号
- 第517号14年4月号
- 第516号14年3月号
- 第515号14年2月号
- 第514号14年1月号
- 第513号13年12月号
- 第512号13年11月号
- 第511号13年10月号
- 第510号13年9月号
- 第509号13年8月号
- 第509号13年8月号目次
- 第508号13年7月号
- 第507号13年6月号
- 第506号13年5月号
- 第505号13年4月号
- 第504号13年3月号
- 第503号13年2月号
- 第502号13年1月号
- 第501号12年12月号
- 第500号12年11月号
- 第499号12年10月号
- 第498号12年9月号
- 第497号12年8月号
- 第496号12年7月号
- 第543号16年6月号
- 第495号12年6月号
- 第494号12年5月号
- 第493号12年4月号
- 第492号12年3月号
- 第595号20年10月号
- 第491号12年2月号
- 第490号12年1月号
- 第489号11年12月号
- 第488号11年11月号
- 第487号11年10月号
- 第486号11年9月号
- 第485号11年8月号
- 第484号11年7月号
- 第483号11年6月号
- 第482号11年5月号
- 第480号11年4月号
- 第479号11年3月号
- 第478号11年2月号
- 第478号11年1月号
- 第477号10年12月号
- 第476号10年11月号
- 第475号10年10月号
- 第474号10年9月号
- 第473号10年8月号
- 第472号10年7月号
- 第471号10年6月号
- 第470号10年5月号
- 第469号10年4月号
- 第468号10年3月号
- 第467号10年2月号
- 第466号10年1月号
- 第465号09年12月号
- 第464号09年11月号
- 第463号09年10月号
- 第462号09年9月号
- 第461号09年8月号
- 第460号09年7月号
- 第459号09年6月号
- 第512号13年12月号
- 第456号09年3月号
- 第458号09年5月号
- 第455号09年2月号
- 第457号09年4月号
- 第548号16年11月号
- 第548号16年11月号
- 第454号09年1月号
- 第520号14年7月号
- 対談
- 第509号13年6月号
- 第524号14年11月号
- 第548号16年11月号
- 第565号18年4月号
以前のPRちくま
「ちくま」購読料は1年分1,100円(税込・送料込)です。複数年のお申し込みも最長5年まで承ります。 ご希望の方は、下記のボタンを押すと表示される入力フォームにてお名前とご住所を送信して下さい。見本誌と申込用紙(郵便振替)を送らせていただきます。
-
受付時間 月〜金 9時15分〜17時15分
〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3