アンヌは彼女の一部に過ぎなかった/樋口尚文

 円谷プロダクションが生んだ「ウルトラマン」のシリーズの中でも、「ウルトラセブン」は突出したシリーズだと思う。いわゆる反核やエコロジーにつながるテーマが頻出、文明批判の色が濃くヒーローもしばしば懊悩しジレンマに陥ったりする。
 そのうえで、ウルトラ警備隊の基地や戦闘機、ユニフォームまで余りにもモダンでカッコよく、一方の宇宙人はアフリカン・アートや縄文風のイメージで、作品全体のデザインがきわめて高度であったのと、映像表現も一種ヌーヴェル・ヴァーグ的な斬新さが散見され、そういう解釈と形容が出来ない子どもたち(子どもたちほど実はホンモノが判るものだ)も、じゅうぶんにその凄さは感じ取っていたはずだ。かくいう私も放映当時は五歳くらいだったが、大変な熱中ぶりであった。
 その「ウルトラセブン」への熱中の理由の、ある大きな部分を占めていたものが、実はウルトラ警備隊のアンヌ隊員であった(「菱見百合子」というクレジットはなんと読んでいいのか判らなかった)。けれども、アンヌが好きであることを幼児の自分は恥ずかしくて親にも友だちにも言えなかった。どうやら全国規模の子どもたちがそうだったらしく、一九六七年の初放映時にはアンヌ隊員のブームなど全く起こらなかったのである。ところが時代が一巡二巡し、その頃の子どもたちが中年以上になった九〇年代後半、不意のアンヌ・ブームで菱見百合子あらためひし美ゆり子は時の人となった。


 そこで幼少時のアンヌへの思慕を告白したオジサンたちは口々に「ウルトラセブン」の魅力を語り合ったに違いないが、私としてはそれだけでは済まない、もうひとつのトラウマじみたアンヌならざる彼女の記憶があった。それは、「セブン」から六年くらい経った小学生の頃、遠足で通る道に「高校生無頼控 突きのムラマサ」という映画のポスターが貼ってあった。そこにはアンヌとしか思えない女性が豊かな胸を露わに、しかも後ろからその乳房をもみしだかれて喘いでいる図が大きくレイアウトされていて、私は動揺して目を伏せた。以後、私は初々しくキュートなアンヌ=菱見百合子と肉感的で妖艶なひし美ゆり子、このふたつのイメージに翻弄されることになる。
 筑摩書房から「グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代」「テレビヒーローの創造」を上梓した私は、特撮物を手がける作り手たちを通して映画史、テレビ史の大河的な流れを鳥瞰しようと試みてきたが、ひし美ゆり子というテーマは当然ながら長年私にとりついていた。そして幸運にも、銀座のとある映画館で憧れのひし美ゆり子さんとトークショーをする機会に恵まれた私は、ぜひ貴女をめぐる論考をご一緒にまとめさせて頂きたいのですと蛮勇をふるってお願いした。


 ひし美さんの驚嘆すべき記憶力に助けられて長いインタビューは豊富な内容となり、私はあの清純さと妖艶さの極を振幅する彼女のありようを通して、映画、テレビ、はてはインターネットに至る映像メディアの変遷史を垣間見た。彼女は、常に映像業界の波に流され、虚心に身をまかせるうちに、はからずも劇的なメディアの変化を反射するような存在になっていたのだ。
 こんな意味を映した書名として、私はちょっとヌーヴォー・ロマンふうに「鏡の女」というのを考え、ほぼ決まりかけていたが、内心何かあのひし美さんらしい色香が足らないなあと思っていたら、急に携帯が鳴ってひし美さんが「万華鏡の女はどうかしら?」。アンヌの頃から私たちの心をぐっとつかんだ、そのハスキーボイスの提案に、私が深く頷いたのは言うまでもない。
(ひぐち・なおふみ 映画批評家)

『万華鏡の女 女優ひし美ゆり子』 詳細
ひし美 ゆり子/樋口尚文 著

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