人情喜劇の名手が描く運動会/杉江松恋

 グランドホテル方式という物語の作法がある。さまざまな人々が一箇所に集まり、複数の人生がひとときの間だけ寄り添って進んでいくさまを描く物語形式だ。
 それに似た形の作品である。名前をつけるなら運動会方式かな。次々に種目が変わり、誰もがどこかで登場の機会を与えられる。あるときは選手として競技の主役だった者が、別のときには応援者として脇役を演じることになるのだ。本当に運動会みたいだ。山本幸久の新作『パパは今日、運動会』である。
 ある晴れた日、カキツバタ文具は社内大運動会を開催する。同社の本社は東京の都心近くにあるが、工場は郊外の辺鄙な場所にある。創業五十周年の節目を翌年に控えて社員のさらなる団結を図る、というような目的もあり全員参加がたてまえの行事だ。赤白に分かれて勝敗を競う、結構本気の運動会である。
 小説ははじめ、会場のあちこちを点景として拾っていく。赤組に属する営業二課の高城輝は、母親が応援に来てしまったことで少々困惑気味だ。自分よりも母の方がよほど熱心なのである。白組の側では、密かに酒盛りが始まっていた。業者から会社に差し入れられたビールを、こっそりいただいてきた者がいたのだ。その中でも商品管理部の渡辺太一朗は、特にやる気のない社員だった。体に染み付いた態度なのである。彼の妻は伝説の敏腕社員だった。出産を機に退職したが、誰もがもういない妻のことを覚えていて、渡辺の前でその話題を口に出す。妻のことを言われるたびに、平常心を保つことができない渡辺なのだ。また実行委員の中には、明らかな下心によって動いている者がいた。品質保証部の西本雅司だ。入社一年目だというのに、彼はもうしらけモードに入ってしまっている。だが、運動会実行委員の仕事だけは熱心に務めていた。同じ実行委員の岸谷小夜と親密になるチャンスをうかがっていたからである。
「親子デカパン」「大玉転がし」「フォークダンス」といった種目名が章題で、競技の進行にそって物語は進んでいく。会社の運動会なのにフォークダンスまであるのだ。男女のバランスが悪くオクラホマミキサーを中年男同士で踊るような悲劇も生まれる。登場人物の一人、強面で知られる生産部課長の広川克也の目的は目に入れても痛くない五歳の娘とダンスを踊ることなのだが、果たして成就するのだろうか。「騎馬戦」「仮装ムカデ競走」(実行委員長の趣味がコスプレなのだ)、「借り物競走」「二人三脚」ときて、運動会らしく最後は「赤白対抗リレー」で終わる。最初はだれもそれほど関心がなかった運動会なのに、最後には競技に引き込まれているから不思議。赤勝て白勝てという気持ちになりますからな。これが運動会というものである。
 感心させられるのは脇役の配置の妙だ。社長におべっかを使うことだけに熱心で、ほとんどの社員から嫌われている千葉茂という怪人物が特にいい(この名前は声優の千葉繁が元ネタだろう)。運動会という場を利用して、彼を懲らしめてやろうと誰もが考える。千葉は誰が見ても丸わかりなカツラを被っているので、それが標的となるのである。また、パートの女性から絶大な支持を集めている弓削直樹という社員は、極端な肉体美の持ち主が意味もなくいるという笑いのための登場人物である。ただし笑いの要員と思っていたキャラクターが不意に大事な働きをするような場面もあるから油断がならない。登場人物の一挙一動に読者の視線を集めるこのやり方は、映画でいえば変人ばかりのコメディ、スクリューボールの呼吸だ。
 作者の山本幸久は人情喜劇の名手だ。自分で自分を枠にはめてしまったせいでそこから出られないでいる、というような不器用な人物を描くとき、この人はもっとも力を発揮する。運動会という場を借りてそうしたひとびとを一堂に集め、お互いを触媒とするように行動させたらどうなるのか、というのが本書の着想の出発点だろう。
 故・忌野清志郎に、うちではだらしないパパも会社ではかっこいい、という意味のことを歌う「パパの歌」という作品がある。だがそのかっこいいパパも、会社員のしるしであるスーツを着こなしているからそう見えるだけなのかもしれない(制服効果というやつですね)。スーツを脱いで個としての自分に戻ったとき、会社員という人たちはどう見えるのか、という問いを発してくる小説でもある。スーツの中は空っぽで何もなかったということになるのか、それとも普段とは違うもう一つの顔が見えてくるのか。読者は最後までどきどきしながらページを繰ることになるはずだ。パパに、がんばってほしいもんね。
(すぎえ・まつこい 書評家)

『パパは今日、運動会』 詳細
山本 幸久 著

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