3・11のあとのシューマッハー ――『宴のあとの経済学』文庫化に寄せて/辻信一

 3・11直後の焦燥感の中で、ぼくが手にとった本に、E・F・シューマッハーの『スモールイズビューティフル』があった。そこに収録されている「原子力――救いか呪いか」を改めて読むと、あまりに鮮烈で、まるでそこから、死後三四年目で蘇った著者の肉声が聞こえてくるかのようだった。
「いかに経済がそれで繁栄するからといって、……何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというものではない。そんなことをするのは、生命そのものに対する冒涜であり、その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪より数段重い。文明がそのような罪の上に成りたつと考えるのは、倫理的にも精神的にも、また形而上学的にいっても、化物じみている」
 3・11後の日本では忌避されている「罪」という言葉を使いながら、シューマッハーがこう断じたのは一九六七年、核兵器保有国が「核の平和利用(Atoms for Peace)」を競い合い、被ばく国日本でもまた原子力開発が最盛期を迎えていた。
 勿論、彼の反原発の言動は、「科学・技術の進歩に反対する」ものとして、激しい非難に晒された。いわく、「(この種の新しい技術が)有害だとはっきり立証されない限り、警報を鳴らすなどとは無責任のきわみである」
 有名な「スモール・イズ・ビューティフル(小さいことは美しい)」という表現は、著者による技術批判の中に出てくる。彼は言っていた。技術というものは、人間が作ったものであるはずなのに、独自の法則と原理で発展し、加速化し、巨大化する。つまり、自然界には「均衡、調整、浄化の力が働いている」のと対照的に、技術の世界は「大きさ、早さ、力をみずから制御する原理を認めない」。しかし人間は自然界の一部なのだから、自らの小さな身の丈にあった生き方を守る必要がある。それを「美しい小ささ」とシューマッハーは呼んだのだった。
 コントロールが利かなくなった「技術主義」の社会に対して、シューマッハーは、『宴のあとの経済学』で、さらに先鋭な批判を展開している。
 彼によると、現代の産業システムには「成長の指向性が内蔵されて」いて、成長を続けないと機能できないようになっている。そこでは、「安定」は「停滞」という言葉で置き換えられる。では、社会にこうした方向づけをしているのは何かというと、それがテクノロジーなのだ、と彼は言う。
 テクノロジーの世界では、可能なことはなんでも実行に移されるべきであり、それによって起こされる変化に、社会の方が適応していかなければならない、と考えられている。それが果たして社会にとっていいか、悪いか、は二の次なのだ、と。
 3・11までは、原発のような技術が危険であることを実証する責任は、反対する者――例えば環境運動家――にあるとされてきた。しかし、シューマッハーの言うとおり、これは逆さまだ。つまり、その技術が絶対に無害であるということを立証しなければならないのは、それを推進する側なのである。
 ぼくたちは3・11の後、大切なものを詰めておいたはずの箱を開けてみて、唖然としたのではなかったか。自然や共同体や倫理や民主主義などといった価値で成り立っているはずのぼくたちの世界は、科学技術の進歩や経済成長に奉仕するシステムによってすっかり傷つけられ、骨抜きにされ、惨憺たる姿を晒している。
 E・F・シューマッハーの『宴のあとの経済学』が再刊される。「ポスト3・11時代」を迎えた日本のために、これはうれしいニュースだ。とはいえ、主流社会を今も牛耳っているのは、相変わらず、経済成長という幻想を追い求める「宴の経済学」だ。3・11は、その「宴」なるものが、いかに大きな犠牲を、現在に、そして未来に強いるものであるかを、明白に突きつけたはずなのに。いや、今からでもいい。危機を好機とすべく、シューマッハー流のスローでスモールな経済学にとり組もう。
(つじ・しんいち 文化人類学者/明治学院大学教授)


『宴のあとの経済学』 詳細
E・F・シューマッハー著 長洲一二監訳 伊藤拓一訳

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