かれらの心をなぞるようにして/管啓次郎

「かれら」が明言化せずに実践している思考を、なぞるようにして明るみに出す。人類学という知のあり方を、たとえばそんな風に想像している。クロード・レヴィ=ストロースは「現代思想」のもっとも重要で深刻な思想家だった。生涯をかけて「現代」を相対化し、「思想」と呼ばれる営為の根源にあるいくつかの前提(たとえば文字の使用、歴史という枠組の採用、理性という特殊な判断の優先化など)に疑問符をつきつけた。人が「世界」と呼ぶ単位は、過去五百年のヨーロッパの侵略的拡大とその覇権が作り出したものにすぎない。それ以前の地球上に無数にうごめいていたローカルで多様な小社会群は、すべてこの拡大の動きに後戻りのできないかたちで巻きこまれ、単一のシステムが強いる均質化の作用のもとに、多かれ少なかれ似たようなふるまいを見せるようになった。端的にいって、外部世界を知らない「未開社会」がすべて失われたことが、二十世紀の世界史の最大の事件だった。それは人類史におけるある種の思考と伝統の、最終的な喪失を意味していた。
「神話的思考」と呼んでもいい。レヴィ=ストロースの慧眼は早くからそのような思考のあり方に焦点を合わせ、形而上学・神学・理性哲学に色濃く規定されたヨーロッパ型の思弁とは別のかたちの「野生の思考」によって生きる人々に対する、しかるべき尊敬を呼びかけた。大著『神話論理』全四巻が完成したのは、一九七一年。すでに四十年が経過し、その全体が日本語訳で読めるようになっているにもかかわらず、南北アメリカ各地の厖大な神話の集積を相手取るその広大無辺の思考宇宙は、踏みこむことすらむずかしい。それでは彼の人類学の感触を少しでも味わうためにはどうすればいいのか。
 答えはひとつ。『アスディワル武勲詩』(原型は一九五八年発表)を熟読することだ。入手しやすいかたちでこの訳書が再刊されたのを機に、再びこの特異な思考の道に正面から取り組んでみたいと思う。特異というのは、題材とされる神話の特異さであり、それを読み解く人類学者の思考の特異さでもある。いずれも強烈だ。分析の対象となるのはカナダ太平洋沿岸の土着神話、ツィムシアン族の英雄譚。アメリカ人類学の父フランツ・ボアズにより十九世紀末に採録された。文字にすればわずか数ページだが、じつに奇妙で異様な、おもしろい話だ。
 その物語を追いながら、著者は土地に生きる部族の生活・制度・発想を読み出してゆく。並行して流れる二つの川に、春のキャンドル・フィッシュの漁期と夏のサケの漁期がある。飢饉に脅える冬を過ごす村から、かれらは季節毎に漁場を移動して暮らす。神話はそんな一年の周期も、現実の地理も反映している。社会運営のあり方も、家族組織も、宇宙観も。話の中で現実と想像は入り混じり、思考はまるで逆転をルールとするかのようにして動的に進んでゆく。人類学者はさまざまな対立、物語のあらゆる転回点を、指摘してまわる。母と娘、下流と上流、地と天、山の狩と海の狩、男と女、飽食と飢饉、移動と不動、漿果と魚卵、結婚と独身、などなど。そこにたしかに語られているのに誰もが見過ごしてしまう差異の刻みを細心に洗い出すとき、初めて意識されるもの。それは土地の人々の心の、雲に投影された映像のような風景だ。
 大きな構図をもつ論理の展開についてゆくのは、正直なところ骨が折れる。あらゆる論述は受け手の心の中でもういちど素材へとほぐされ、線的な進行を解除されていわば風景化されなければ理解されたとはいえない。その段階に達するために、ぼくはあと三回くらいこの論考を読み直さなくてはならないだろう。覚悟はある。そしてこうした地道な作業を通じてレヴィ=ストロースがめざしていたのが、人々が個々の与えられた自然の中でどのような生活を営みその様式がどんな判断に立っているのかを探るという、単純でしかも果てしなく遠い展望だということも、おぼろげながら想像できる。一緒にこの本を読もう。いつか語り合えるときもあるだろう。
(すが・けいじろう 詩人/明治大学教授)

『アスディワル武勲詩』 詳細
クロード・レヴィ=ストロース著 西澤文昭訳 内堀基光解説

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