装幀が美しくて、中身も充実、そして本は買うもの/石原千秋

「ジャケット買い」という言葉があるが、ブックフェチの傾向がある僕は、これをよくやる。それから外国文学の新訳もたいていは買うし、文庫が改版されて文字が大きくなっても買い直す。読書アンケートで評判のいい本も買ってしまう。書店でパラパラ見て、興味を引けばもちろん買う。そんなわけで、僕の家にはこれから読みたい本が一万冊ぐらい眠っている。「本は買うもの」という習性が身体に染み込んでしまっているようだ。だから「君たちが本を買うことが文化を支えるのだ」と、大学一年生には必ず訓を垂れる。うっとうしい教員だろう。

 いまの若い人は本にお金をかけない。先日、大学院で僕のゼミを受験したいという他大学の卒業生で、すでに非常勤で高校国語を教えている人が研究室訪問のように訪ねてきた。卒業論文は村上春樹だと言って、僕の新書を鞄から出したのはいいが、二学期に『こころ』を教えるのでと、最近出した拙著『こころで読みなおす漱石文学』(朝日文庫)も取り出して見せたのが、図書館で借りた本。なにも三千円、四千円する本ではない。文庫だ。買うのが当然だと思う。それも研究室訪問なのだから、呆れてしまった。
 昨年、文学について講演をして質疑の時間になったら「文学の敵は何ですか」という質問が来た。僕は即座に「ケータイとスマホです」と答えた。お金と時間がそっちに流れるのだから、本には来ない。こういうことが小学生から日常になっている人たちが、本を読むはずがない。ましてや買うはずがない。研究室訪問の人にとっては、借りた文庫を見せて「熱心な読者」を演出することはごく自然なことだったのだろう。決定的な世代の断絶を感じさせられるできごとだった。
 そうは言っても、一般的な高校生や大学一年生が読める教養書はそんなに多くはない。長い間、岩波ジュニア新書がその役割を果たそうとしていた。実際は文字が大きいので老眼の高齢男性が買っているとは、よく言われる都市伝説のたぐいだろうか。いずれにしても、岩波ジュニア新書は真面目すぎるし、教訓臭が鼻につくものも多い。僕はほとんど買わない。そこへ適度な真面目さと適度な遊び心を持ったちくまプリマー新書の登場となった。テーマ設定がいいし、本ごとに違うクラフト・エヴィング商會の装幀が美しいこともあって、つい買ってしまう。専門外の分野の入門書としてすぐれているものが多い。ということは、大学一年生あたりにはうってつけなのである。

 適度な真面目さと適度な遊び心を持ったちくまプリマー新書を一冊ずつ挙げておこう。
 例のニューヨークで起きた旅客機でのテロ以来、アメリカとイスラム関係の本がたくさん出た。新書で出たものはたいてい買って、そのいくらかは読んでみたが、素人にはよくわからない。そこにちくまプリマー新書から内藤正典『イスラームから世界を見る』が出た。タイトルが「イスラム」ではなく「イスラーム」。アレッと思って読んでみたらよくわかる。政治向きの話ばかりでなく、身近な実体験も織り込まれていて読みやすい。いろいろなテーマでこういう感じの企画があると嬉しい。これは新書の王道を行った企画だ。
 これはちくまプリマー新書ならではと思ったのが辛酸なめ子『女子校育ち』。ちょっと心配になるくらい女子高生のホンネが満載。それまで都市伝説だと思っていた話が事実だと知って、怖くなった。僕としては、女子校育ちのワセジョがはじめは早稲田に戸惑うのも当然かと理解したわけだ。これはアイデア賞というか、審査員特別賞狙いの新書だ。

 僕もちくまプリマー新書から二冊出して貰ったが(『未来形の読書術』、『ケータイ小説は文学か』)、全体に文学関係の企画が少ないのは残念だ。もっとも、これはどの新書でもそうで、いまは経済ものか歴史ものか自己啓発ものばかり。旧制高校の時代ではないのだから「文学こそが教養の中心である」などとは言わないが、「文学を読むことこそが最高の自己啓発である」ぐらいは言ってもいいかもしれない。ウソだけど。

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