早すぎた「デモのメディア史」 ―『大衆宣伝の神話』決定版に寄せて/佐藤卓己

 今回、ちくま学芸文庫で増補・決定版として刊行される『大衆宣伝の神話――マルクスからヒトラーへのメディア史』は、私の博士論文であり、最初の単行本(弘文堂・一九九二年)である。史上初のマルクス主義「大衆政党」、ドイツ社会民主党のプロパガンダを祝祭、デモ、機関紙、漫画雑誌、ラジオ、シンボルなどから分析している。第一次世界大戦前に百万人政党となり、ワイマール共和国で政権を担った社会主義政党の栄光と没落を描いた「大衆的公共性のメディア史」だ。言うまでもなく、ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』を意識した著作であり、ハーバーマスが「市民的公共性」から排除した祝祭、デモ、漫画、ラジオなど感性的メディアに焦点を当てた、もう一つの「公共性の構造転換」といえる。

 その内容については、今回の文庫版解説「ナチス擡頭が物語る宣伝の可能性と限界」で二十代の社会学者・古市憲寿氏がスマートにまとめてくれている。本書所収の論文を書いていた我が二十代を思い出しながら、これ以上望むべくもない見事な解説に大いに感銘を受けた。是非、この解説からお読みいただきたい。ちなみに、古市氏はこう書いている。
「二十年以上の時が経ちながら、あまりこの国の輿論がバージョンアップされないことは残念だが、それはこの本がまるで価値を失っていないことを意味する。」
 むしろ刊行されるのが二十年は早すぎた著作だったのかもしれない。確かに刊行当時も、学会誌や『思想』などでの硬派な書評から『週刊ポスト』や『日刊ゲンダイ』での紹介まで広く注目された。だが、本書が「デモのメディア史」として今日ほど切実に読まれるべき状況はまだ日本になかったようだ。私が本書を執筆した時期は、ドイツ留学から帰国した一九八九年、つまりベルリンの壁崩壊から一九九一年のソビエト崩壊まで、東欧での「デモによる民主化」が注目された時代である。第一章の「預言のメディア」(ラサール祝祭)から終章の「シンボルの黄昏」まで、「街頭公共性のメディア」が強く意識されているのはそのためだ。それから二十年を経て、日本で「三・一一」以後の反原発運動など「デモというメディア」が再発見されたことと、この文庫化はおそらく無関係ではない。
 正直に告白すれば、本書の結語で「デモの終焉」を論じたフリードリヒ・クニーリの文章を引用して私が書き留めておきたかったメッセージは、当時私自身も十分には言語化できていなかった。
「ファシストの殺人部隊が拍子をとって行進した以上、最も古い労働歌さえも嘘っぽく響くのである。また、労働者の記念日、メーデーも楽しいダンスや祝祭の喜びよりも、強制収容所に掲げられた労働は自由にするの標語を思い出させるだけである。労働運動の強調語である連帯という言葉でさえ、連帯と共同意識が欺瞞と略奪の類義語となっていた以上、嘲笑を呼び起こすだけである。」
「それにもかかわらず」とつぶやきながら、私はそれに続く言葉を探しあぐねていた。F・フクヤマ『歴史の終わり』(一九九二年)を意識しつつ、結語は苦しい自問で終わっている。
「だが、イデオロギーの終焉どころか、歴史さえもが終焉したと主張されるなら、希望もまた終焉するのではなかろうか。」
 その問いを抱え込んだ私にとって、二〇一二年夏の論壇に溢れた脳天気な「無条件のデモ礼讃論」は歴史的思考の欠如に思えた。同年八月二八日付『東京新聞』の「論壇時評」でデモ礼讃論の議論に疑念を呈したのはそれゆえである(拙著『災後のメディア空間』中央公論新社・二〇一四年に収載)。こうした時評の背景となった本書は、現在、そして未来に直結している。「ナチ宣伝という神話」などを増補したこの決定版が若い世代と幸福な出会いをすることを期待したい。
(さとう・たくみ 京都大学准教授)

ちくま学芸文庫
増補 大衆宣伝の神話 マルクスからヒトラーへのメディア史
佐藤卓己著1500円+税

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