なださんと堀内君とラガーシュ先生/加賀乙彦
なだいなださんと私との関係は複雑に入り組んでいる。まず名前の呼び方がいろいろである。その呼び方で彼との関係が定まるのだが、そばで聞いている人には不思議な会話だと思われるだろう。
まず「堀内」というバンカラなのがある。そう呼んだときには、まず戦時中の陸軍幼年学校の同窓生仲間だという意識がある。彼は仙台の、私は名古屋の陸軍幼年学校生徒であって、「同期の仲間」だということを示している。おたがいに会話するときには、自分のことは「おれ」と呼び、相手を呼ぶときには「貴様」と言わねばならない。そして、初めて戦争中の将校養成施設陸軍幼年学校の同窓生として、親しい間柄になるのだ。
「やあ、堀内先生」「しばらくお会いしませんね。お元気そうで」などと丁寧に話すのは、おたがいに精神科医師として、尊敬しあっているからである。精神科の中にも専門があって、彼は、日本一の「アルコール依存者の名医」なのだ。
堀内秀先生が働いていたのはアルコール依存者の多い久里浜病院で、私が働いていたのは、久里浜特別少年院で、彼は医師として治療に専念し、私は犯罪心理学者として熱心に非行少年の調査をしていたのだ。仕事の合間に会いにいき、励まし合い、夜は一緒に飯を食う。私が酔って元気一杯であっても、彼はアルコールなしで、おとなしく食べているのだ。この食事はなんだか気の毒であった。世界一アルコール依存者の多い国で勉強してきた彼は、酔ってはしゃいでいる私と食事をしながら、泰然としてなにを考えていたのだろう。このごろ不思議な思いがするのだ。
だが、この本(「常識哲学――最後のメッセージ」)を読んで思う。新たな治療方法を見つけ出すために哲学をしていたのか! このころからずっと、常識と葛藤をしていたのだろう。
なだいなだと加賀乙彦のおつきあいなら、これは作家同士で、それなりに面白かった。彼は作家として、ユーモアある文章を書き、皮肉たっぷりに、時の政治家の悪口を言い、老人虐めを平気でする若い政治家におどろき、時の権力の批判をしていた。老人党を作ったのは、二〇〇三年で、やはりここでもユーモアたっぷりの、辛辣な批評家であった。
私と彼とは、ほぼ同じ時期にフランスに留学していたので、そういう付き合いもあった。しかし、自分がフランス人の恋人を持っていることを言わなかったので、後の夫人、ルネ・ラガーシュさんのことを日本人仲間では、誰もよく知らなかった。 帰国して、私は日仏学院に通っていたが、ラガーシュ先生が、なだ夫人であることを長いこと知らなかったほどだ。
その後、彼が『パパのおくりもの』で有名になり、北杜夫が『どくとるマンボウ航海記』でベストセラー作家になった。私も医師で作家を目指して書いていたが、それは才能の差で、かれらのように、鮮やかな登場の仕方はできなかった。
彼ら二人が、すぐ作家になったのに、私はさっぱり芽が出ず、四〇歳近くなって、やっと『フランドルの冬』という長編でなんとか作家として立つことができたのだった。
しかし、精神科の医師で作家であるという三人は、仲がよく、冗談を言い合ったり、戦争中の壮絶な空襲の思い出を語ったりしていた、歳も近かった。
私一人が取り残された寂しさは、最近ますます強くなってきた。
ああ、なだいなだよ。余りにも、急だった。「自由と常識の関係」の途中で原稿が終ってしまっているが、なだがどう考えているのか是非読みたかった。これは、私たちへの宿題ということだろうか? いずれにしても、これはなだいなだが長い時間をかけてたどり着いた常識についての卓見だと思う。
それにしても、さびしいよう。
(かが・おとひこ 作家/精神科医)
常識哲学――最後のメッセージ
なだいなだ著1500円+税
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