異端の魂・トスキナ/三山喬

 大正期の浅草オペラブームにキワモノの“お色気ショー”で現れ、映画監督に転身後も、宗教団体の暴露映画からB級の怪奇映画、そして検閲でズタズタに切り刻まれる左翼映画など、好き放題の作品をつくり、ケンカ三昧の表現活動を繰り広げた古海卓二。草創期の芸能界を駆け抜けた、この知られざる怪人物の評伝を『夢を喰らう キネマの怪人・古海卓二』として、書き上げることができた。
『トスキナ』という反体制舞台劇と映画の代表作『旗本退屈男』を除けば、正統な演劇史や映画史に、その痕跡はほとんど残されていない。大正アナキズムや戦前の大衆文化に詳しい限られた人だけが、マニアックな関心を寄せてきた人物である。
 それでも、その自由奔放な生き方は間違いなく、一部の男たちを強烈に魅了した。
 無頼のルポライター・竹中労は、自身に先行する“反骨の表現者”として古海に着目し、日本映画史の再構築を試みた大作で真っ先にこの男を取り上げた。戦争を挟んで古海と深く交わった芥川賞作家・火野葦平もまた、この“奇矯な友人”を繰り返し小説に描き、その不可解な人格を解き明かそうとした。
 大正という、自由と反逆の風がほんの短期間、戦前の日本に吹き抜けた時代。そのさなかに青春を送った古海は、まさに“時代の子”として人生を謳歌した。昭和期に入り、その歩みは茨の道と化してゆくのだが、古海はドン・キホーテさながらに終生、“我が道”に固執し続けた。
 その滑稽な愚かしさへの共感が、同時代の仲間に彼の存在を刻み付けたのであった。
 私は、古海卓二を母方の祖父にもつ孫として、今回、この作品に取り組んだわけだが、実は私自身、五十代に差しかかるまで、この祖父の人生や人物像について、人名事典の簡略な記述以上のことはほとんど知らぬままに生きてきた。
 古海が一九六一年、私が誕生する直前に他界してしまった事情もある。だがそれ以上に、私が育った家庭では、この祖父を話題にすることが一種のタブーとされていたためだ。
 女優として古海と出会い、十五年間の結婚生活を経て離婚した祖母にしてみれば、家庭を顧みず、非道極まりない所業を繰り返した元夫は、思い出したくもない存在であった。紅沢葉子という芸名で戦後まで活動したこの祖母にとって、古海の語る芸術も革命も、無責任な《売名屋》の駄法螺でしかなかった。
 古海に引き取られ、女学校時代までそのもとで育った私の母にしても、古海への感情は祖母と似通っていた。
 家族から伝えられた否定一色の祖父像はやがて、竹中労などの著作に触れ揺らぎ始め、私の関心は年齢を重ねるにつれ膨らんでいったが、祖母や母の死によって、古海の素顔を直接に伝え聞く機会は得られずに終わった。
 そんな幻の祖父像の発掘に、改めて取り組むことができたのは、一冊のノートとの出会いがきっかけであった。
 祖母・紅沢葉子が晩年にまとめた母宛のノートで、そこには祖母の人生が順を追って綴られていた。プライベートな手紙や思い出の品々の一切を処分して世を去った母も、息子たちのためだったのか、このノートだけは手を付けずに残していた。
 ひもとくと、そこに描かれた古海卓二はやはり、身勝手で醜悪な“暴君”でしかなかったが、その記述を糸口に、周辺情報を掘り起こしてゆくと、この男の生き方がなぜ、同時代の仲間や竹中労を魅了し得たのか、少しずつ見えてくる。
 鎌田慧氏の著作に『自由への疾走』という大杉栄の評伝がある。若き日に大杉と交わり、感化された古海の人生もまた、大衆文化を舞台とした自由への疾走にほかならなかった。
 私は、そんな“異端の魂の輝き”に共感してくれる読者がいることを願って、本書をまとめたのである。
(みやま・たかし ノンフィクション作家)

三山喬著 2400円+税

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