光の言葉―『遺言―対談と往復書簡』を読む/若松英輔
副題のとおり本書には、志村ふくみと石牟礼道子の間で交わされた往復書簡と、二度にわたって行われた対談の記録、そこに石牟礼の新作能「沖宮」が、それぞれ円卓に静かに添えられた花々のような姿をして収められている。
対話のきっかけは、東日本大震災の二日後、志村が石牟礼に送った手紙だった。こうしたときだからこそ「ただ仕事をするしかありません。本を読み、考えるしかありません。石牟礼さん、本当にどうしたらいいのでしょう。今また水俣の哀しみが湧いてきました」と志村は書き送った。
「水俣の哀しみ」とは、今日も続いている水俣病をめぐる出来事を指す。水俣病は人類だけではない。すべての生けるもの、「生類」が存続する基盤を破砕した。水俣病運動に参加した人々が、いつしか足尾銅山事件に還り、歴史に学ぶことで活路を見いだそうとしたように、震災後の日本は今、水俣の歴史と真摯に向き合うことなしには進めないところに来ている。
こうした状況下で志村が、ほとんど本能的に『苦海浄土 わが水俣病』の作者にむかって胸の内を明かしていたことは記憶されてよい。今日ではそれを指摘する者も少なくないが、志村のように震災の二日後に、はっきりと感じ得た者はどれほどいただろう。
この本に収められている書簡の多くは、公開されることを意図して書かれたものではない。作者たちは、書物を作ろうとして言葉をまじえ始めたのではなかった。折り重なる言葉が書物に結実したのだった。
彼女らの交流の歴史は長い。二人は、互いの作品にふれ、しばしば文章を書いている。石牟礼の詩文は、志村が染織作品をつくるとき、霊感の源泉になり、志村の染めた糸は、石牟礼の魂の護符となった。志村の文章にふれ、石牟礼は「魂が発色したよう」だと語っている。さらに志村が、同時代における石牟礼道子のもっとも精確な読み手の一人であることも記憶されてよい。
対談の中で志村ふくみは、つぶやくようにこう言っている。「最後かしらと思って、こういう仕事も。でも、誰かに伝えたいんですよね」。この本にはいくつかの鍵となる言葉がある。「伝える」もその一つである。
「霊性」、あるいは「光」もそこに連なる。書簡で石牟礼は、自らが能で描き出す天草四郎にふれ、「霊性が足りず、近代的な学校秀才のようになってしまいました」と書く。知性的世界の彼方、霊性の境域を凝視しながら石牟礼は、身を削るようにして推敲を重ねた。また石牟礼は、志村が染める色にふれ、感覚に訴えるだけでなく「霊性に転化するということをまざまざと感じます」と語る。
染めると、じつに美しい薄青色となる「臭木」と呼ばれる植物がある。文字通り、その植物はある臭気を放つ。だがそこから生まれた青を志村は、「水縹」あるいは「天青」と呼ぶ。彼女は、人が疎ましいと思うような草の奥に、魂を底から照らし出す色が潜んでいることから眼を離さない。色は「光の子供たち」であり、「どこか見えない世界からの訪れ」、「音信」であり、ときにそれは「警告」でもあるという。
『遺言』と題するところにも、一切の比喩はない。光に導かれ、彼方の世界からの言葉を受け取る二人は、わが身に刻まれた叡知をどうにかして、続く者に伝えようとする。遺言に籠められているのは、書いた者の意思の表明よりも、意思の伝承である。記されたことの実現は、それを読む者に託されている。
新作能「沖宮」をめぐって話していたとき、死に話が及んだ。すると石牟礼は穏やかに、しかし確信に満ちたようにこう語った。「沖宮に行くのは、死にに行くんじゃない、生き返るための道行なんです」。光の言葉で記された字義通りの「遺言」である。(わかまつ・えいすけ 批評家)
志村ふくみ・石牟礼道子著2200円+税
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