遠い地平、低い視点 議論の余地/橋本治

 大阪市を解消して五つの特別区にするという「大阪都構想」は、住民投票の反対多数で否定されたけれど、それでなんだかよく分からなかった「大阪都構想」というものがなんだったのか、ぼんやり見えて来たような気がする。

 それは大阪市長橋下徹の信任投票のように思われた一面もあったようで、市長自身も「僕が嫌われた」というようなことを言っていたが、多分そうではないでしょうね。大阪市民は自分達のことだから結構真剣に考えて、でも、なにをどう考えたらいいのかよく分からなくて、年寄りほど「今のままでいい」と思い、若くなればなるほど「今のままじゃやだ」ということになったのではなかろうかと思います。
「大阪都構想」なるものの中心には、大阪府と大阪市の二重行政の解消という目的があって、「二重行政を放っとくから、府と市が勝手に張り合って金のかかる無駄なものを作るのだ」という指摘が「大阪都構想推進派」の方からあった。「たとえばこれが無駄です」と、空き家同然になった立派な建物を見せられれば「なるほど無駄だ、バカなことやってるな」とは思うが、だからと言ってそれがそのまま「大阪府をやめて大阪都にすればいい」という話になると、急になんだかよく分からなくなる。他の人はどうなのか知らないが、私にとって「大阪都構想がよく分からない」というのは、その「いきなり飛躍した」というところにあった。私は大阪の人間ではないので、「本気で分かろうとしてないから“飛躍してる”なんてことを考えるのかな?」とは思ったけれど、どうやら違ったらしい。
 住民投票が近づいて来ると「大阪の町の人の声」というのがテレビから流れて来る。そこで反対派の市民は、「二重行政の解消なら、市と府で調整委員会を作って話し合いをすればいい」と言っていた。別の反対派の一人は、「府知事の松井さんも市長の橋下さんも維新なんだから話し合えばすむだろう」と言っていた。
 そういう声を聞いて、「なんだか分からない」と思っていた理由が見えたように思った。「二重行政の解消」を言うのなら、府と市の間に調整委員会のようなものを作ればいいわけですね。作って、それがどうもうまく行かない。「府と市がそれぞれの立場にこだわって二重行政状態を続けて変わろうとしない」になった段階で、「よし分かった、だったら大阪府も大阪市も廃止して大阪都にしてしまおう!」という声が浮上して来ることになるのではないかと思うが、そういう段階が「あった」という話は聞かない。喧嘩っ早い市長が「大阪都構想」に賛成しない市議会と喧嘩して、一度市長を辞任したという話なら聞いたけれど。
 住民投票近くになって、「調整委員会を作ればいいのに、なぜ作らない」という声がやっと一般人の間から聞こえて来て、だからその点で「きちんと考える住民はきちんと考えているから、これは大阪市長の好き嫌いに関する信任投票ではないな」と思ったし、「そのステップが抜けていたから、“大阪都構想”というのは、飛躍して唐突なものに感じられたのだな」と理解した。今更だけれども、どうしてそういう問題――重要なステップが議論から抜け落ちていたんだろう。「それが抜け落ちている」という声が、議論の場で大きく取り上げられていたら、話はもう少し変わっていたのになと思う。
「大阪都構想」が否決されて、その中心にいた市長が、「この任期が終わったら政治の世界から去る」と言っているのだから、おそらくは、大阪府と大阪市は「二重行政の解消」に取り組むための新プロジェクトなんかをスタートさせないでしょうね。「めんどくさい嵐は去った」ただそれだけでしょうね。どういうわけか、日本の政治の議論はそういうものだ。
 改革を訴える人は、自分の訴える「改革」とそれを可能に出来る「自分の勢い」に酔って、大事なステップを平気で素っ飛ばしてしまう。「勢い」に圧されてか、議論をするべき立場の人間達は、「大事なことが素っ飛ばされている」ということ自体を議論の場に上げなくなる。上げても、「それは違いますね」と、人の言うことを聞かずに平気で議論の素っ飛ばしをする人に撥ねつけられると、「問題はあなたのとる姿勢だ」と食らいつくことなく、うやむやにしてしまう。
 なにを言っても「それは違いますね」で撥ねつけてしまう人に、本当に総理大臣をやらせておいていいのかということこそが、議論の対象になってしかるべきだと私は思います。「集団的自衛権は行使可能」が閣議決定されて、だから「安全保障関連法案」を新しくするということも閣議決定され、国会で審議されるけれども、どれだけ重要なステップが素っ飛ばされているのか、早く気がついてほしい。

(はしもと・おさむ 作家)

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