「マタハラ問題」の解決への第一歩/荻上チキ

 新しい概念が発見され、社会に浸透していく。社会問題が認知され、解決に向けての議論が進んでいく。セクハラ、ひきこもり、孤独死、介護離職、ブラック企業、リベンジポルノ――。あらゆる社会問題も、最初は名前がついておらず、あくまで個々人の悩みとして処理されていた。そこに言葉が与えられ、苦悩を抱えている者が多数いるということがあぶりだされてきた。
「マタハラ」(マタニティハラスメント)は、最近になって光を当てられ、また急速に議論が進展しつつある社会問題のうちの一つだ。本書の著者である、小酒部さやか氏がその立役者であることは疑いようがない。彼女は「マタハラNet」を組織し、自分自身がマタハラの被害にあったことを訴えると同時に、多くのマタハラ被害者の声を集め、それをメディアや政府に届けている。そうした活動の甲斐あって、二〇一五年は急激にマタハラの認知度が増し、政治的にも大きな一歩を踏み出すこととなった。
 本書は、マタハラ問題を理解するだけでなく、解決のためには読者が何をすればいいのか、明確な提案まで行っている一冊。著者である小酒部氏自身のマタハラ体験を克明に記す一章でまず、あなたは怒りに震えるだろう。部下の妊娠を疎み、暴言を重ねたうえ、セクハラやパワハラも繰り返す上司。それを追認する企業。こうした仕打ちに、多くの人が泣き寝入りさせられることを思い知らされる。
 二章では、豊富な事例をもとに、この社会で実際に起きているマタハラ事例を類型化。同僚などが妊娠を非難するといった「いじめ型」や、無理な労働を継続させる「パワハラ型」、離職に追い込もうとする「追い出し型」など、当事者への配慮を欠いたうえに、その権利を侵害するようなケースは後を絶たない。
 三章では、ネット調査をもとに、マタハラの実態を統計的にあぶりだす。最近は、民間NPOや研究者などが、行政がスルーしてきた問題に着目し、自ら統計を取ることで、積極的に問題提起する「民間白書」とも呼ぶべき試みが目立ってきた。なお、マタハラに関しては、最近では厚生労働省も調査を行っている。数字を公表することで、メディアなどを通じて問題意識を共有することにもつながるし、政策ターゲットの明確化にもつながる。
 本書のユニークな点が、四章・五章の存在だろう。「マタハラを放置すると、いかに社会が損をするのか」という議論を展開したうえで、ポジティブに評価できる企業の実例を複数紹介。マタハラを人権問題の観点からのみ取り扱うのではなく、その議論の必要性を多角的に検証している。マタハラの実態を改善していくには、会社側の意識改革、ひいては社会の側の啓発が重要となる。「どうすれば良いのか」「それで何が得するのか」を提示することで、「問題解決する側」へと読者を勧誘しているわけだ。
 ハラスメントについての議論を展開する場面では、しばしば「なんでもハラスメント扱いをするのか」「何もしゃべれなくなるではないか」といった反応を見聞きする。「なんでも」ハラスメント扱いするということは現実に起きていないし、ハラスメントを指摘されると何もしゃべれなくなるという人が、普段どんな会話をしているのか気になるが、これらの言説は、「無自覚な抑圧をしてきた側」の典型的な反応と言えるだろう。しかしそれは、「足を踏んでいますよ」と指摘された者が、「歩けなくなるではないか」と憤るようなもの。「踏まないように注意して歩く」「踏んだら謝る」という選択肢をあえて無視し、極端化して憤ってみせるのは、被害者の告発を無効化し覆い隠す悪質な反応でもある。そうした素っ頓狂な反応をしないためにも、特に男性や経営者などにこそ読んでほしい一冊。
(おぎうえ・ちき 評論家)


小酒部さやか著800円+税

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