今この時代の真実を照射するストリートビュー/石埼 学

 そこここにある深刻な人間性の否定の表徴に気がつかされた。本書が取り上げる内外の事象自体は、マスメディアでもどこかでさらりとは報道されたであろうものがほとんどだ。しかし著者は、それらの事象のうちに人間として見過ごせない問題があることを見事に見抜き、読者に提示する。本書を読むと、確かに私も接した覚えのあるマスメディアの大々的な報道の細部に、あるいは日ごろの生活の中でちょっと気になっただけの「ベタ記事」の背後に、黙って見過ごすことに良心の呵責を感じざるを得ない真実が宿っていることに気がつく。私たちは、人間らしい皮膚感覚をもっと研ぎ澄まして、もっと注意深くなる必要があると教えられる一冊だ。
 オバマ大統領の就任演説に登場した一つの地名――「ケサン」――から電磁波被害に苦しむ住民の声まで、「九条の会」の準備に尽力する経営者から米軍基地拡張に抗う岩国や沖縄の住民まで、「グーグル・ストリートビュー」から「タスポ」まで、本書は、まるでスライドショーのように私たちを取り巻く時代の風景を、そこにある問題とともに具体的に映し出す。一つひとつは「些細なこと」のようにも見える。人によっては「いやな時代になったねえ」の一言で多少の痛みを感じながらも受け流すこともできるかもしれない。しかし本書を通読すると、それらの「些細なこと」の数々は、人間性を深刻に否定するこの社会の本質がさまざまな仕方で表出したものだとも思えてくる。平等と平和、そして人間らしい自由への愛着を隠さない著者だからこそ可能な、今この社会の、監視目線でない、人間目線の「ストリートビュー」。それが本書である。
 人間目線――それも権力者ではなく社会的に無名の人間の目線だからこそ見えるものがある。こちらの「ストリートビュー」は、平等、平和、そして自由という確かなランドマークを見失わずに最悪の状況に抗って生きる人々のドラマに接近していく。不安定雇用と失業を強いられる人々向けの安価で自由な共同住宅「自由と生存の家」を準備する労働組合員たちの試み、それに物件を貸す不動産業経営者はかつてのベトナム反戦運動家。職員会議での挙手や採決を禁止する東京都教育委員会の方針を批判し続ける元都立高校校長は、公正な選挙によって世論が反映されている限り、自分の意見とは異なる指導・決定にもしたがってきたという。「アートが排除の道具にされるのを放っておくわけにはいきません」と渋谷・宮下公園の「ナイキ化構想」に異を唱える表現者たち……。この社会の名もなき主役たちの、社会全体から見ればちっぽけなことなのだが、それぞれに自分の人生にこだわった抵抗には、なるほどマスメディアが詳細に伝えるほどのニュースバリューはないのかもしれない。日々の報道の主役は政治家、財界人、著名な学者、芸能人、はたまたスポーツ選手たちである。そのことに私は取り立てて異議はない。ただ、マスメディアの主役とこの社会の主役とは別であることのほうが多いことを自覚しておく必要はあるのだろう、と本書を読むとつくづくと思う。
 深刻な人間否定という真実に向き合うことは、ひどく疲れるし、エネルギーを要することだ。真実から目をそらして「いやな時代」をなんとかやり過ごす術に逃避したくもなる。しかし本書が示すような重苦しい真実と正面から向かい合うことのほかには希望を見出す術はないはずだ。筆者は、取材を通じて「絶望的とも思える状況に、それでも抵抗し、せめて人間らしく、平和と平等を追求しようとする人々の営みが、あちこちで――少しずつではあるけれど――湧き上がりつつある確かな手応え」(最終章)を感じたようだ。気の滅入るような真実と向き合うことによって平等と平和と自由との希望を探すほかはなさそうだ。人々の現実の営みの中に希望を見出しつつ、今この社会の真実を照射しているゆえに本書は熟読するに値する。
(いしざき・まなぶ 憲法学)

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齋藤貴男著

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