犯罪と刑罰について、ちょっと斜めに考えてみる/岡本美紀

 テレビニュースや新聞には毎日、様々な犯罪が報道されています。その中でも、無差別殺人事件などのいわゆる重大犯罪はとりわけ大きく報道されるので、私たちは日本社会の安全性に疑問を持ち、そしてふと思うのです。「こんなに凶悪な犯罪が発生しているのに、警察の取締りは手ぬるいんじゃないか。裁判所の判決は軽すぎるのではないのか」と。
 さあ、そこで知りたいのが犯罪や刑罰のこと。一体どのような行為が犯罪とされるのか。そして、その行為に対してどのような刑罰が科されるのか。いや、そもそも誰がそのような重要なことを決めているのか。裁判員制度が始まった昨今、なおさら悩みは増すばかり。
 実は、「どのような行為が犯罪となり、それに対してどのような刑罰が科されるのか」ということを規定しているのが「刑法」という法律です。
 たとえば、刑法一九九条を見ると「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と書かれていますが、これは「人を殺す」という行為は犯罪であって、それを行った者には原則として「死刑、無期懲役、五年以上の懲役」のどれかが刑罰として科されますよ、という意味です。
 しかしながら、ひとくちに「殺人」とはいいますが、単純にハラが立ったから殺人をするという事例ばかりではなく、不治の病で苦しむ親の姿を見かねて手にかけたという場合や、相手方が不意に殴りかかってきたので防御するつもりで突き飛ばしたら頭を強打して死んだ場合など、単純に処断しえないような事例も発生するわけでして、そこが刑法(というか法律全般についての)解釈の難しいところです。そのため、専門家向けからビジネスや家庭生活用まで、刑法関係の書籍は多種多様に出版されています。
 そこで、本書。書名からすれば「初学者でもわかるよう簡単に刑法を解説した入門書であろう」という推測がなされるわけですが、それはちょっと違う。確かに目次をながめると、一見「普通の」刑法の教科書と同様の項目があるので少し油断してしまいそうになるのですが、たとえば「刑罰は重くなっている?――厳罰化の時代」というところ。現在、「重大犯罪者に対しては厳格な刑罰で臨む」というのは時代の趨勢で、飲酒運転や危険運転で人を死傷させた場合の刑罰を厳しくするため、刑法に「危険運転致死傷罪」が追加されたことは、近年の「厳罰化」の顕著な例です。
 ですが、この著者は、厳罰化というのは刑罰を重くするものではなく、むしろ厳格な法律の適用を徹底することであると主張するのです。その身近な例は、交通違反の取締り。そのまま放置すれば重大な事故を誘発しかねない交通違反ですが、それを取り締まる交通法規が国民にあまり尊重されないのは、不公平な法執行が原因です。つまり「あいつは違法駐車していても一度も違反切符を切られないのに、その隣町に住んでいる自分は必ず切符を切られてソンをしている」というように、「違反を発見されたのは運が悪かったせいである」という意識しか残らず、「これからは違反しないで交通法規を守ろう」という意欲がわかないのは、行き当たりばったりの法執行のせいであり、日時・場所・違反者の属性(男女、年齢など)にかかわらず、どの違反行為も厳格に取り締まることによって法執行の公平性を確保し、国民の信頼を得ることで遵法行為を促すべきである、というのです。
 これはほんの一部。本書では、その他にも世間一般に信じられていることが次々と裏切られていきます。著者は、「自分の二人の娘」にやさしく刑法を教えるという形式で論を進めてはおりますが、実は「娘」をダシにして、日頃ずっと書きたかった刑事法解釈がらみのうっぷんをここで晴らしているような気がしないでもない。でも、この「法律の知識はまだ持ち合わせていないけれども、素朴な正義感でいっぱいな二人の娘」になりきったつもりで本書を読めば、きっと「ああ、そういう物事の見方もあったのか」と驚くことが多いに違いありません。
(おかもと・みき 帝塚山大学法政策学部教授)

『はじめての刑法入門』 詳細
谷岡一郎・著

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