油断すると、飲みこまれる/豊﨑由美

 工場、廃墟、ダムがちょっとしたブームになっている今、タイムリーな小説が柄澤昌幸の第二十五回太宰治賞受賞作『だむかん』である。だむかん、すなわちダム管理所を舞台にしたこの物語は、電力会社の土木課に勤務する二十八歳の都宮を視点人物に、一般人ではなかなか知ることができないダムの運営管理、その内部事情をリアルに伝えるという意味で読みごたえがある。と同時に、大卒で電力会社の花形の部署に配属され、仕事にやりがいを求め、いずれは本店勤務を狙っていた都宮が、究極の閑職ともいうべきダム管理所への出向を命じられたことで、情緒を不安定にしていく様がおかしいコミック・ノベルの様相も加味。つっこみどころがないとは言えないものの、荒っぽい筋運びや体裁を無理に整えようとしない語り口が独特の魅力へと転じて、ちょっと不思議な読み心地をもたらす作品になっているのだ。
 まず、新人にしては肝が据わっているところがいい。十年前の八月八日、大雨で川の中州に取り残されたキャンパー二十二人のうち二十人が、ダム放流によって犠牲になった水難事故。クライマックスとなるであろうそのエピソードを、第一章で早々に明かした上で、「タイムリミットもののように、じょじょに物語を盛り上げていくのだなあ」「事件が人災か人災でないかについて検証していく話なのかなあ」という読者の予断を、作者はいい意味で裏切っていくのだ。
 エリート意識と上昇志向が鼻につく都宮が、洪水処理を行うため二十四時間の常駐管理が義務づけられているものの、年に数回ある洪水の時に洪水吐を開けるボタンを押すだけで、あとはただひたすら閑を潰しているより他ない、〈オジステ山〉と揶揄されているダム管理所に出向させられて以降の展開は、いずれ水難事故が起きることを知っている読者にとっては「ダメじゃん」の連続。それを代表するキャラクターが、ダム管理所から帰って以降、腑抜けになってしまった同僚のようにならないため、最初のうちこそ気を張っていたものの、日々の退屈を受け入れ、うまくやり過ごしている中卒や高卒のダム管仲間のムードに染まっていく都宮なのである。
〈……自分とはいったい、何者だろうか?(略)パレート図を用いた現状分析は以上である。次に、特性要因図で解析した結果、原因は親のせいであることが判明した。以下、その改善案をマトリックス手法により検討することとする……〉なんて、品質管理法を駆使したヘンテコな自分史を書く都宮。彼女も友達もおらず、八日間の連休を独身寮で孤独に過ごし、あんなに軽蔑していたダム管仲間を恋しく思う都宮。あげく、本社栄転の野望を抱いていたのに、〈僕、高みの見物よりも、ちっちゃな工事でいいから、一作業員として工事に関わりたいっていう願望があるんです。頭を使うより、体を使う仕事のほうがやりがいあると思いますし〉と土方願望を口走る都宮。そんな風に牙を抜かれたように柔和になったり、上司の話を聞き逃すくらいの放心状態に陥ったかと思えば、ダム管に出向させられた当初のようにカリカリとヒステリックに仲間の言動をあげつらう――。上がったり、下がったり、変動著しい都宮の精神状態に失笑を禁じ得ない、弛緩した第二章で読者を油断させておいて、第三章、問題の水難事故に向かって「八月七日 ○七時三○分」「八月七日 一二時一五分」……「八月八日 ○○時一○分」「八月八日 ○○時二○分」と少しずつ時間の幅を縮めていきながら接近しつつ、その緊迫感を文体に反映。この語りの落差は見事というべきなんである。
 冒頭でも記したように、つっこみどころはある。しかし、それでも喉元までせり上がってくる物言いを飲み込めてしまえるのは、黒部ダムを彷彿させる黒姫ダムの威容と周囲の雄大な自然の描写、先に述べた人物造型の妙、ダイナミックな語り口に、新人らしからぬ個性の刻印が見てとれるからだ。太宰治賞の先輩作家である津村記久子のように大きく育ってほしい。そう願わせるだけの、不敵な面構えを備えた作品だからなのである。
(とよざき・ゆみ 書評家)

『だむかん』 詳細
柄澤昌幸著

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