対談 『地雷処理という仕事』に真の平和を築く道すじを見る

高山良二●地雷処理専門家


天童荒太●作家

 ちくまプリマー新書『地雷処理という仕事――カンボジアの村の復興記』刊行に際し、推薦文を寄せられた天童荒太さんと、この本の著者高山良二さんに対談をしていただきました。(二〇一〇年一月五日)


天童 本の原稿、拝読しました。多くのことを教えてもらい、学ばせていただきました。本物が伝える凄みのある経験だし、素晴らしい著作だと思いました。特に、知らないことを教えてもらうことは、生きていていちばん大切なことだと思います。
 本の中には、高山さんのいわば現場報告というかたちでの、いくつかの貴重な提言があります。支援におけるソフトの面の重要性。相手の国の文化の違いを尊重すること。表面的なきれいごとだけでなく、相手の生活に溶け込み、その生活と文化とのすり合わせが必要であるということ。
 また、哲学的にもなるような、深みのある話ですけれど「軍事に携わった者ゆえにできる、その技術を生かした平和構築が可能なのではないか」という視点。これはすごく新しいと思いました。それから「国連には、戦後処理・紛争後処理という機関・機構こそがいま本当に必要ではないか?」という、すごく新しく、かつ大切な提言をされている。こういう哲学や理念があってこそ、支援が一時的なものに終わらず、何かが変わっていく道につながるんじゃないかと思いました。本の中でも「平和の種を蒔く」とおっしゃっていましたけれど、そういう種を宿した仕事を高山さんはされている。
 でもなぜそんな仕事を始めたかというと「自分でもよくわからない何かに惹かれた」と書かれている。カンボジア初訪問の際に抱いた夢を、なぜかわからないままずっと抱えつづけてきたとありますが。


高山 カンボジアに惹かれた理由を言えなくはないのですが、本当の部分は、そこは一生懸命考えても、最後は面倒くさいから「わからない」と言っています(笑)。私自身、何かわからないけれども、惹かれたんですね(注 高山さんは元自衛官)。

天童 拝読していると、「縁」というのでしょうか、そういうものがすごく根底にあると感じます。読んでいて、高山さんの前世はカンボジア人だったんじゃないか? と思うくらいで(笑)。

高山 現地では十人が十人、私のことをカンボジア人だと言いますね。ランニングシャツに短パンでプサー(市場)に行くと、市場のおばさんが、カンボジア語で話しかけてくるんです。何を話しているのか、ほとんど聞き取れないんですけど(笑)。

天童 それくらい溶け込まれている(笑)。
 カンボジアへの思いを強くするきっかけとして自衛隊時代のカンボジアPKO活動の大変さを記されていました。その具体的なエピソードは、この本の中であまり語られてなかったので、これは強烈だったなというような話をうかがいたいのですが。

高山 まず、日本で準備をしていた二カ月間が強烈でした。(カンボジアPKOで)自衛隊をはじめて海外に派遣することもあって、何をどう準備したらいいのかがわからないんです。政府に訊いても、国連からの指示がないとわからないという状況でした。その準備担当の一人が私だったんです。
 カンボジアに入ってからも、何もわからないまま作業をして、何もしないうちに帰る準備をしないといけない状態でした。
 また帰国するとき今度日本に戻る部隊の荷物の中に麻薬や拳銃が入っているという噂があって、防衛庁が真っ青になったんです。というのも、我々が失敗をしたら、もう二度と日本ではPKOはできない。はじめてのPKOを成功させて、それを次につなげるということも最大の任務の一つだったんです。荷物を各部隊に持って帰らせ、麻薬や拳銃が出てこないか、各中隊長の責任で荷物のチェックをさせました。でもそれは、「お前らは信用できん」と言うことと一緒ですから、きつかったですし、国の責任が全部私にかかってきた気分になって、恐くなって、逃げ出したかったですね。結局、変なものは出てきませんでしたが。

天童 定年で退官されて、今度は個人として、縛りがない身でカンボジアに行かれました。本当に戸惑いの連続だったと書かれていましたが、「まずは現場に立ってみて、それから対処方法を考える」という高山さんの姿勢は、もともとの資質なのか、それとも自衛隊での経験から修得されたものなのでしょうか。

高山 自衛隊での三十六年間の経験は否めないと思います。しかし他の隊員の方々を見ると、私のような人間はほとんどいない。ですからこれは私のキャラクターかなと。

天童 今回の地雷処理の仕事の重要なキーワードは「住民参加型」ということだと思いますが、それは前々から考えておられたのか、行って決められたんでしょうか。

高山 これは、CMAC(カンボジア地雷対策センター)と話をする中で出てきたんです。100%外国の援助で地雷処理をやっていますが、それがずっとあるという保証はないですし、先細りになってしまうような雰囲気もありました。今後の活動を続けるためにも、外国からの資金をふんだんに使うのではなく、支出を抑える方法を考え、カンボジアの本来の復興にリンクさせようと。それが住民参加型地雷処理という形に繋がっていきました。

天童 実際にやられてみて、思ったより上手くできました? それとも大変でした?

高山 カンボジア住民の地雷処理隊員が7名亡くなるという事故がありまして、それは今でも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、思ったよりといいますか、本当に上手くいったなと思います。非常に大きな意味合いがあったなと。

国際支援の実態

天童 驚いたのは、地雷処理の技術を広めていくことが、根底にある平和構築や地域復興の思想まで広める形になっていることです。

高山 それは今、地雷処理をしているタサエン村に来てもらえればよくわかります。他国の団体も活動していますが、地雷処理をするだけなんですね。実は私も、最初はそう考えていました。ところが日本人の方がお節介焼きなんでしょうかね? 村にいると、どうしてもいろいろ見えてくる、地域復興を考えないといけないと思う。そうすると、地雷処理は、戦後の地域復興の中の一部分で、最大目的ではなくなるんです。やはりそうして、地域復興をベースとしながら、地雷処理をやっていくのがいいのかなと思います。

天童 それが象徴的に表現されているのが井戸の問題ですね。井戸を作るというハードは支援としてできるけれど、村人たちがその井戸を管理できなければ、故障したらそれでもう終ってしまう。象徴的な「現実」の物語として紹介されていました。マスコミ的に表出されてきた支援は「お金を送ってください」「井戸がいくつできました」というので終ってしまうけれど、実はその後が本当の支援の始まりなんだということを表現されていて、そのソフトの大事さというのは、これまで伝えられてこなかったなと思います。

高山 すごく腹の立つことがありました。別の団体が作った井戸があるんですが、現地の人に聞くと、傷んで使い物にならなくなって、二年間も使ってない。作っただけで、責任を取らないんですね。壊れても直さない村人も悪いですが、それをやらせるような啓蒙をして、本当に日常生活に組み込んだ使い方をしてもらって、はじめて「井戸一基の支援をした」ということになるんです。井戸に限らず、支援の成果を村人たちが受け継いで、その中身のソフトの部分まで理解をしてもらわないといけない。けれど「こうやってみんなのために贈ってもらったんだから、そこのところはわかってよ」と一生懸命言うと、わかってくれますね。時には怒りもしますけれど(笑)。

天童 本の中でも「いい加減にしろ!」と村人に怒っているところがありましたね、すごく面白かった。怒ってはじめてコミュニケーションが成立するだろうなと。

高山 「こんにちは!」「ソクソバイ?(お元気ですか)」そういうことを言っているうちは、まだ旅行者ですね。本当にカンカンになって怒って、そうしてはじめて、家族であったり、村人になれるのだろうと思います。

天童 本当にそうなんでしょうね。
 井戸の話は、旧来の支援の実態を見せてくれていて、自分たちはこれまで、お金を出したその結果を、意外なほど知らなかったし、知ろうともしなかった。政治的な話で言えば、日本はODAとしてものすごくお金を出しますけど、自分たちの血税が、どこでどう使われたかということを見ようとしなかったし、マスコミもそれを検証してこなかった。井戸という、ひとつの小さなことだけれど、すごく大きなものが、ここにはあるなと思いました。僕らも、自分たちの出したお金が、どういう結果になっていくのかは見せてくれと言ってもいいんじゃないかと。

高山 言わないといけないですね。追跡調査といいますか、検証ですね。井戸には、日本人の贈り物だと書いてありますから。

平和構築組織の必要性

天童 軍事に携わった者だから独自の平和構築に寄与し得るという発想はこれまでなかったように思ったんです。自衛隊に関しても、政治や憲法上の問題でネガティブな論調が多いけれど、むしろ視点を転換して、彼らは平和のための技術を習得している、自衛隊はそういう機構なんだという考え方があってもいいんじゃないかと。それは世界の軍隊も同じで、紛争処理、戦後処理のときに、平和構築をし得る技術をそれぞれが有しているエキスパートなんだと。そういうものの見方をするだけでも、とげとげしたものがだいぶ違ってくる気がする。

高山 今ある自衛隊などを平和構築するための組織だと考えれば、非常にプラス思考であり、夢があると思います。
 タサエンの村人は、元ポルポト軍やクメールルージュです。今五十代の人たちは、まさにその渦中にいたんです。聞けばすごい人生を送っている。「私の人生はネズミとまったくいっしょでした」と言うんですね。ネズミのように逃げ惑い、逃げるのに失敗したら殺される、そういう人生だったと。やっと今、逃げずにすむ生活になった。それを聞いたら、戦争というのは本当に大変なことだと切実に感じます。

天童 ポルポト軍やクメールルージュは、ひとくくりに「恐い人たち」「思想的におかしくなった連中」というような伝わり方がされているけれど、実際に村人たちはポルポト軍やクメールルージュに無理やり入れられた、あるいは、逃げたところにクメールルージュがいて入隊しないと殺されてしまう状況だった。そういうことは、多くの国で、今なお起きていることなのに、どうしても僕らは、敵か、味方か、と二元論で分けてしまう。その恐さというか、本当は現場に入って村人と交流すれば、みんな平和を望んでいたんだとわかる。生き延びたかったから、銃を取らざるを得なかった、地雷を埋めざるを得なかった。そのことの苦衷は、わりと伝えられてきませんでした。

高山 日本のある大学生がタサエン村に来てインタビューをしました。その中で「地雷を埋める時、どういう気持ちで埋めましたか?」という質問をするんですね。もうがっくりしますね。そんなことではない、地雷を埋めたらいいとか悪いとかの問題ではなくて、切実な状況から、たまたまそうなってしまった。ひとつの大きな流れができてしまうと、その他の事はできないんだと分かってほしい。

「交流」こそが国際支援

天童 高山さんは、かつて自衛隊という組織にいて、今は自由にカンボジアで活動をされて、大勢いろいろな人に会ってこられたと思いますが、その中で、現代の日本ではこれが欠けているんじゃないか、と何か見えてきたものがありますか。

高山 ひとつは心の問題ですね。私は、お金と心という、ふたつの風船があると思っています。日本は第二次大戦に負けてから復興しようと、日本人の勤勉さでお金という風船に、みんなが努力して空気を入れていった。そうして、世界第二位という経済大国にもなったわけです。しかし本当の日本人の特性は、家族や、地域を大事にする心だと思います。お金という風船に空気を入れることに夢中になりすぎて、日本人が持っていた心の部分を置き去りにしてきた。私は、心を失った国は未来がないんじゃないかと思います。他の国からも相手にされなくなるんじゃないかと思います。
 今は自分のことを考えてから、相手のことを考えるという風潮になっていますが、そうではなく、格好のいい言い方かもしれませんが、まず相手を思いやって、それから自分を振り返る。そのほうが順番としては、上手く行くのではないでしょうか。

天童 家族とか地域とかを含めて、他者への視線ということですね。自分にしか向けていなかった目や耳を外に向ける、思いをかけるといいますか。タサエンという現場に行かれて、そういうことをやってこられたわけですね。

高山 自然にそういうふうになりますね。でも、割り切れないところもたくさんあります。
 ある日、赤ちゃんを見まして、二、三日前に生まれたのだろうと思ったら、生後四カ月だというんです。「えっ」と思って台所を見ると、米粒ひとつもありません。母親がご飯を食べていない、乳も出ない。カンボジアでは、あまり干からびたような赤ちゃんを見ないけれど、中にはいるんです。「これは、いかんわい」と、自分のポケットマネーでミルクを買ってしまう。お金を出すことはいいことではないと重々わかっていても、寝るときに「あの子はどうなったかな?」と、頭の中のどこかにずっと残っていて、それが苦しい。そういう行為は人のためじゃないかも知れません。自分が苦しいのが嫌だからそうしているのかも知れません。そういうやりきれないことがあって、理屈に合わないこともやってしまうんです。そんなことが、村での生活の中でたくさんあります。

天童 何か人のためになることをしたいと願っている人は、実はとても多いのではと思っています。他人に無関心といわれる若い人でもきっと大勢いるだろうと。けれど、何をしたらいいか? それがわからないので立ちすくんでいるんじゃないかなと。高山さんのように思いきって現場に入っていければいいけれども。先ほどもおっしゃったように、そういう素質の人はむしろ少ないわけで、立ちすくんでいる人が、若者も、若くない人間も、多いという中で、現場を知っている人だから、そういう立ちすくんでいる人たちに、こうしてみたら? と、ちょっとしたアドバイスみたいなものをいただけたらすごくいいと思います。

高山 それは本当に、いろんな人と接して交流していますが、小学生も、八十歳のおばあちゃんも、みんな同じです。人のためになることをしたいと願っている人が多いのではなく、全部の人が、本来そういう気持ちを持っているんじゃないかと感じます。しかしまさに、何をしていいのかがわからないんですね。以前は私も、物やお金の支援をお願いしていましたが、最近では「交流をして欲しい」と思うようになりました。現場、現地、相手をよく知って欲しいと。それが一番の支援だと思います。これもハードからソフトに、自分の気持ちがチェンジしたんですね。物で支援されるのは、どちらかというと不足するくらいの方がいいのかなと、最近は考えています。交流してください、タサエン村に来てください。そこで感じたことを、自分で考えてくださいと。「あの人たちはかわいそうだからやってあげる」という考えではなく、対等に、自分もそこに身を置く。向うの人からも学ぶことがたくさんあるんです。

天童 知って欲しいし、見て欲しいし、来て欲しい、話をして欲しいということですね。そこから生まれた「つながりたい」という気持ちが、本当の支援になる。

高山 自分が何をしてあげられるかではなくて、自分がそこから何を得るか、何を得たいかという姿勢の方が、私はいいと思います。

天童 本の中に、村人がデマイナー(地雷処理員)になりたいという申し込みをするときに、カンボジアに必要とされることが誇りだ、という話がありました。「誰かに必要とされる」というのは重要な、人間にとっての一番大切なモチベーションになるんじゃないでしょうか。たぶん、若い人に限らず、みんな誰かに必要とされたいと思っている。その誰かに出会っていないだけで、出会うための一歩を踏み出すこととして、今、高山さんがおっしゃった、交流ということを、いつも心においておけば、いつかその機会が訪れるんじゃないか。高山さんがカンボジアに出会ったように、若い人もきっと何かに出会える。出会ったときに、交流という言葉があれば、しぜんと握手の手が伸びたりするんだ、と思います。

『地雷処理という仕事』 詳細
高山良二著

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