同時代を生きた誇りと自負/中条省平
還暦に近づきながら「永遠の高校生」(鹿島茂)のように旺盛な執筆活動を続ける四方田犬彦の新作です。
これまで四方田犬彦の個人を対象とする著作には、中上健次、魯迅、白土三平、ブルース・リー、由良君美などをめぐるものがありました。今回の相手は大島です。幼少から親しんだ白土三平についで、著者にとって思春期以来の深い愛着のある対象といえるでしょう。そのストレートな愛着に、あつい敬意と冷静な批評眼が加わった大島論です。
客観的な目くばりもおこたりなく、人間・大島の伝記として、また、戦後日本の政治・社会状況および深層心理の解剖として、十分な読みごたえがあります。さらに、いつもながらの叙述の剛毅さはそのままに、円熟の加わった文体のリーダビリティも抜群。晦渋な冗舌に淫する映画研究をこえて高みを駆ける趣きのある著作です。
四方田犬彦が初めて大島と出会ったのは、十四歳のおり、『忍者武芸帳』(一九六七)のロードショーにおいてでした。幼時からの熱狂的な白土三平ファンだった著者にとっては、運命ともいえる遭遇だったはずです。早熟な四方田少年にとって、大島はただちに、ゴダールやジョン・レノンや大江健三郎とならぶ「守護神」となります。それ以降、一貫してリアルタイムで大島の映画を見てきた、いや、大島の映画とともに生きてきたという誇りと自負が、本書の記述を支えています。そこに私はこの書物のもっとも美しい青春の痕跡を見るのです。
しかし、その種の書物の神話化は著者のいちばん嫌う態度かもしれません。じっさい、四方田犬彦は本書のなかで、大島の映画も、大島本人も、それを特権的なフェティッシュとしてもてあそぶような振舞いは一度も見せていません。にもかかわらず、大島の映画や社会状況とクロスするかたちでときたま挿入される著者自身の人生の断片によって、本書は客観的な研究書や評伝ではない、血の通った書物になっているように思えるのです。
とくに、終章は「大島と同時代であること」と題され、高校生だった著者の先輩たちが大島の『東京争戦後秘話』に出演したことや、『少年』の主人公がその高校の隣にある養護施設の出身だったといったエピソードを紹介し、また、著者自身と大島との二度の実際の出会いを語っています。そこには、無償の偶然を運命に変えるような、サルトルがジュネに贈った言葉を借りていえば、「大島の善用のための祈り」が立ちこめているように感じられます。その意味で、本書は、大島の映画をつうじた戦後日本への仮借ない批判の書物でありながら、いつもどこかに幸福と希望をただよわせるような、昂揚する気分がみちています。
もちろん、映画作家論として見たときに、大島の作品の問題系を明確に腑分けし、そこに歴史的変遷のあとを見とおす本書の分析と再構成の力わざについても触れないわけにはいきません。
その問題系は大きくいって四つあります。大島映画に頻出する「宴会と歌」の意味。初期映画に頻出した太陽がその後「日の丸」にとって代わられる理由。他者の特権的なイメージとしての「朝鮮人」と「女性」。女性の問題はセックスの問題ともじかに結びついています。これらの問題について、四方田犬彦は簡潔な作品要約をちりばめながら論述を進めます。とくに感心したのは、抽象的で難解だと定評のある『絞死刑』や、でたらめなドタバタ劇に見える『帰って来たヨッパライ』を分かりやすく読み解いていく著者のたしかな手さばきでした。
そのようにして、重要な問題系の迷路にすっきりとした見晴らしをあたえたのち、一九八〇年代以降、映画的記憶を重視する批評の趨勢から、統一的な作家性を拒否する大島が冷遇されたという事実に触れます。しかし、本書の登場によって、その冷遇の時代には終止符が打たれることでしょう。
(ちゅうじょう・しょうへい 映画評論・フランス文学)
『大島渚と日本』 詳細
四方田犬彦著
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