嗜好品は何をもたらすのか?/雑賀恵子

 嗜好品をめぐるあれこれ、なのであるけれども、嗜好品というのはいったいなんだろうというところから考えると、ちょっとわからなくなる。栄養のためではなくて、味を楽しむことを主な目的として口にするものが嗜好品だ、というと、確かにコーヒーや紅茶、コーラの類いはあてはまるかもしれない。そのままでは食しづらいものだし、栄養もなさそうで、あえてわざわざ食材に組み込まなくてもよいようなものを、人間は工夫して口にし、それそのものに照準を当てて楽しさを見いだしている。とはいえ、チョコレートをはじめお菓子類一般には、「栄養」があるし、タバコなどは、味を楽しむものかといえば、ちょっと違う。だいたいからして、普段、食事の目的が栄養を摂ることだと明確に意識しているというわけでもない。空腹満腹にかかわらず、食事としてではなく漫然と口にしたり、好んで食べたりするもので、その好みというのが強く表れるのが嗜好品といえるのかな、と思う。
 ともかく、嗜好品とされるものがあって、そのほとんどは植物であるし、もしかしたら、その植物のもつなにか依存性をもたらすものに操られて、結果としてその植物が生き延びるのに手を貸しているのかもしれない。そう考えたくなるほどに、歴史を振り返ると、人間は、思いもかけないものに嗜好品としての魅力を発見し、利用法を洗練させてきたし、それを夢中で追い求めてきたようだ。それぞれの嗜好品についてはたくさんの論考があり、また、そのものについての蘊蓄めいた知識もおもしろいのだが、そもそもがやくたいもないものに意味を見いだしたり、のめり込むように傾いていったりする人間の異様な在り方のほうが、わたしにとっては興味深い。だから、嗜好品について、ではなくて、嗜好品をめぐってのあれやこれやをいろいろ眺めながら、人間の奇妙さについて考えてみようと思ったのである。
 コカやケシ、アサ、そしてタバコなどの植物は、その原産地辺りでは、植物の持つ魅力に折れ合う形で、身体の苦痛を紛らわしたり、精神を安らかにしたり、儀礼に用いられたり、と生活に根ざしたところで用いられているようだが、いったん近代的な思考が介入してくると、効能が注視され、成分抽出に技術が傾けられるようになる。また、貴重品から大量消費の商品へと、その様態を変貌させていく。というように単純に図式化するとつまらないし、そんなふうでもないのであって、とりあえずタバコには、生を収縮させるイメージを抱いている。苦痛や苦悩のちょっとした紛らわし、堪え難く流れる時間からほんの少しばかり逸脱する快楽、そんなものがたとえばタバコにはあって、だから戦場などの極限状況においても意外なほどに求められたのだし、しかしそれは、やはり、この場この時から逃れて自己の内部に沈み込んでいくような快楽だ。
 甘さには、生をなだめるような感じがあるし、記憶、とりわけ遠い日の記憶とやさしいところで結びついているような気がする。そうすると、これは、とても個的な、しかし内部に引きこもっていくようなものではなく、親しいものとの関係の中にある快楽にみえる。ところが、甘さへの欲望という観点から歴史をふりかえると、砂糖生産には獰猛なまでのエネルギーが注ぎ込まれてきたといえる。消費の仕方も貴重品として王侯貴族の力を誇示するような蕩尽ともいうべきものから、奢侈品となり、そして大衆社会のなかでのありふれた大量消費品へ変わり、と一行で書いてしまうとこれも図式的になってしまうのだが、甘さをめぐる欲望と快楽の効用のあり方が社会変容とともに変化している。いわゆるジャンクフードなどは、まさしく現代のものであって、私たちの欲望の集積を標準化し規格化したものが商品となって提示され、逆に、それによって個々人の欲望が制御され整流されていくようである。
 あるものになだれるように傾いていく嗜好/指向や、欲望を、嗜好品のもたらす快楽というものを軸に眺めてみたい。身体そのものが管理され、身体が商品のフィールドとなっている社会にわたしたちは生きているのだけれども、それでも、飼いならされず、はみ出たり、けったいな在り方をしてしまうものがあり、もとより快楽というものも手に負えない奇態さを持っていて、そういうところになにか潜在的な力を感じたりもするのである。
(さいが・けいこ 社会思想史)

『快楽の効用 ─嗜好品をめぐるあれこれ 』 詳細
雑賀恵子著

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