『渡邊二郎著作集』刊行に寄せて/髙山 守

 この度、筑摩書房より、『渡邊二郎著作集』が、六百ページを優に超える各巻よりなる全十二巻構成で出版される運びとなった。すでにその第1巻『ハイデッガーI』および第6巻『ニーチェと実存思想』が、この十月および十一月に刊行されており、今後も、毎月一巻の刊行が予定され、来年(二〇一一年)九月には完結の予定である。
 故渡邊二郎氏は、私の恩師であるが、氏は、歴然と分かたれた表と裏とをもち、しかし、裏もまた全面的に表に出てしまうという、このうえなく怖くも優しくもあり、非常に不思議でおもしろい人物であった。そういう恩師渡邊は、文字通り世界が認める、稀代の哲学研究者であり、その研究の中心は、ほかならぬハイデッガーであった。昭和三十七(一九六二)年、三十歳の若さで、驚くべきことに、七百ページを超える大著『ハイデッガーの実存思想』を、引き続き同年のうちにまた、ほぼ同様の大著『ハイデッガーの存在思想』を上梓した氏は、その前後から、貴重な数多くのハイデッガー論文を、日本語、ドイツ語で、世に出し続けた。そして、平成十八(二〇〇六)年秋、膵臓がんの治療・療養が始められて以降、その生涯の研究生活を締めくくるかのごとく新たな執筆を始め、翌年十二月三十日、千枚に及ぶ原稿を書き終えた。この大作こそが、その翌年二月十二日に七十六歳の生涯を閉じた後の五月、『ハイデッガーの「第二の主著」哲学への寄与試論集研究覚え書き』と題され出版された氏の絶筆である。今回の著作集は、これらの著書、ドイツ語論文(翻訳済み)を含む大多数のハイデッガー論文、さらには、録音テープから起こした講演、そして、さまざまにハイデッガーを語る随想等を収録し、それが、著作集全十二巻のうちの四巻を占める。
 この著作集を編むについては、ほぼ毎月一回、定期的に編集会議を開き、その回数は二十二回に及んだが、そうしたなかで、いくつかの新鮮な発見もあった。その一つは、『ハイデッガーの実存思想』ならびに『ハイデッガーの存在思想』における初版と第二版との、一種の転向と言ってもいいほどの相違である。当初渡邊は、ハイデッガーに対する批判的態度を鮮明に保持していた。しかし、後には、ひたすらハイデッガーに沈潜し、それをひたすら深く読み取ろうとする態度へと変容する。本著作集(既刊第1巻、続刊第2巻)は、第二版を収録したが、初版の主要な相違箇所をも合わせて掲載した。また、いわゆるドイツ観念論に関しては、フィヒテやヘーゲルよりも、シェリングに関する論文数が相当に多いことにも、驚かされた(第8巻所収)。一般的にも、また、私としても、シェリングの評価は難しいと言わざるをえないと思われるが、これは意外であった。
 さらに、何よりも、と言っていいほどに驚かされたのは、昭和二十八(一九五三)年、弱冠二十二歳で書き上げられた卒業論文である。「カントに於ける反省的判断力とその原理」と題されたこの論文は、その博識、明晰な論議、圧倒的な迫力等々において、すでに後の大学者渡邊二郎の筆致そのものを顕わにし、内容的にもそれはまた、ハイデッガー論を含む、その後の渡邊の、哲学に向かう根本姿勢そのものをくっきりと描き出している。それによれば、カント哲学とは、根本において、「反省的判断力」という物事の探求能力を介して、ひたすら世界の「根拠」そのものを問い求めた哲学であり、その「根拠」とは、まさにカントの言う「物自体」にほかならない。「物自体」と言えば、通常はカント哲学中の最大の厄介者と見なされる難題だが、渡邊によれば、それは端的に、哲学の究極のテーマである「存在そのもの」、「根拠」そのものなのである。渡邊二郎の哲学の原点が、実にここにあった(この未発表原稿を含むカント論は、フィヒテ論等と共に第7巻に所収)。
 本著作集はこのほか、フッサール論、ニーチェ論等の充実した哲学論、内容豊かな人生論、そして、さまざまに自らの思いを綴った幅広い随想等を収録する。これらの諸論は、その多くが、すでに哲学研究者の必携の著となっているが、しかし、研究者のみでなく、物事を真摯に考えようとする多くの人々にとってそれは、間違いなく、この上なく良質の手引き書となろう。
(たかやま・まもる 東京大学教授)

『渡邊二郎著作集 1 ハイデッガー1 』 詳細
高山 守/千田 義光/久保 陽一/榊原 哲也/森 一郎 編集

『渡邊二郎著作集 6 ニーチェと実存思想』 詳細

    2008

  • 2008年1月号
  • 2008年2月号
  • 2008年3月号
  • 2008年4月号
  • 2008年5月号
  • 2008年6月号
  • 2008年7月号
  • 2008年8月号
  • 2008年9月号
  • 2008年10月号
  • 2008年11月号
  • 2008年12月号

    2007

  • 2007年1月号
  • 2007年2月号
  • 2007年3月号
  • 2007年4月号
  • 2007年5月号
  • 2007年6月号
  • 2007年7月号
  • 2007年8月号
  • 2007年9月号
  • 2007年10月号
  • 2007年11月号
  • 2007年12月号

    2006

  • 2006年9月号
  • 2006年10月号
  • 2006年11月号
  • 2006年12月号

「ちくま」定期購読のおすすめ

「ちくま」購読料は1年分1,000円です。複数年のお申し込みも最長5年まで承ります。 ご希望の方は、下記のボタンを押すと表示される入力フォームにてお名前とご住所を送信して下さい。見本誌と申込用紙(郵便振替)を送らせていただきます。

電話、ファクスでお申込みの際は下記までお願いいたします。

    筑摩書房営業部

  • 受付時間 月〜金 9時15分〜17時15分
    〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3
TEL: 03-5687-2680 FAX: 03-5687-2685 ファクス申込用紙ダウンロード