「子供」の時間はもうすぐ終わる/柴崎友香

 この小説の主人公は、十四歳の中学生だ。存在として「子供」というよりは、「子供」の立場にいる。中学三年生のセキコは、失業中の父親が四六時中いる家に嫌気がさし、塾のない時間は図書館に行くが、そこも安住の地ではない。喫茶店にも入れず、中学生は金がないことが居場所のなさに直結している。
 物語は、塾のお盆休みを中心に進む。失業中の父を擁護する母と折り合いの悪くなったセキコは、同級生のナガヨシと塾生の「大和田」を尾行し、不登校になったクレに宿題を届け、図書館で優等生の室田いつみに遭遇し、それぞれの家庭の事情を垣間見る。
 読んでいる途中で、あ、まだお盆休み終わってないのか、と気づき、自分にもそんな時間があったことが随分と久しぶりに思い出された。今のわたしにとって一日は短い。一か月も一年も何でこんなに早く過ぎるんだろうかと呆然としてしまうが、中学生のころはもっともっと時間はゆっくりだった。「ゆっくり」なんて生ぬるい言葉ではない、どうしようもなくのろく、うんざりするほどじりじりとしか進まず、早く終わらないかとそればかり願っているのに、明日どころか今日の夜さえ来ないのではないかともがいていたあの時間が、この小説の中には常に横たわっている。
 小説の中で親たちは、子供を一人前の人間としては扱わないのに、都合のいいときだけ話し相手にしたり自分に理解を求めてくる。そのことに対して、セキコは苛立ち、ナガヨシは諦めと受け流す方法を身につけ、一見優等生に見える室田いつみは義憤を抑えることができない。それでも、金を稼ぐことができないが故に親に頼らずには生活していけない矛盾の中で、蚊に刺されたセキコが、「シャープペンシルの先を刺されたところに押し付けて、忘れることにした」ように、なんとか日々を乗り切っている。しかし、セキコはとうとう母親と衝突し、ナガヨシの家庭にも危機が訪れる。
 先日会った友人が「中学時代がなんのわだかまりもなく心から楽しかったっていう人がおったら、その人はよっぽど鈍感か周りの人を何も気にかけへん人なんやと思うわ」と言って、わたしも大きく頷いたが、多くの人がこの小説に描かれたどうしようもない季節を身に浸みて感じるだろう。
 そんなうんざりする時期にも、ほころびのように現れる鮮やかな実感を、作者は差し出してくれる。ナガヨシが大和田の眼鏡が光るのを「ほんと、太陽光線を集めた虫眼鏡にやられた紙みたいな気分になる」と思うこと、尾行ごっこの途中で見つけたシューアイスが安くておいしいひなびたケーキ屋の空気、不登校中のクレが作る山盛りのドーナツ。
 宿題を写させてもらおうと画策する彼らが、それぞれの得意分野、というか、かろうじてできることでつながっていくとき、ロールプレイングゲームで仲間を得て駒を進めていくみたいな快感がある。それは、彼らのような年頃の子供たちが大活躍するファンタジー映画とはほど遠い些細なことに見えるけれど、もしかしたらもっと確かな、この世界でなんとかやっていくための強さを手にしようとしているのかもしれない。と、終わらないように思えた夏休みを過ぎてそれぞれの教室へ家へ帰っていく彼らの姿に、願いを込めて思わずにはいられない。
 もう一つ収められた「サバイブ」は、表題作で脇役的存在だった室田いつみを軸にした物語。彼女を取り巻く閉塞したご近所の醜聞の中に、「子供」の時期を過ぎた大学生の沙和子の視点が入ることによって、この物語には直接登場しない、セキコたちの日常までが押し広げられたように感じられる。「他者のことを考えるのをやめられないのなら、もはや自分と他者の境界などないのではないか」という沙和子の思いを読んだとき、もしかしたら小説はそういう気持ちから生まれ、書き続けられるのかもしれない、と思った。
(しばさき・ともか 作家)

『まともな家の子供はいない』 詳細
津村記久子 著

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