小出裕章氏とカッサンドラー/池田香代子
カッサンドラーは、ギリシア神話に出てくる女予言者だ。カッサンドラーの予言は、必ず実現するが誰にも受け入れられない、という宿命を帯びていた。城塞都市トロイアに木馬を引き入れてはならない、と予言したのがこのカッサンドラーだ。果たして、予言は聞き入れられず木馬は引き入れられ、トロイアは滅亡する。私には、廃墟と化したトロイアにたたずむカッサンドラーに、小出裕章の姿が二重写しになる。
小出さんは東北大学の学生時代、女川原発反対運動に出会い、仙台で消費する電気をなぜ遠く離れた女川で作るのか、という地元の人のことばに覚醒した。原子力に夢を求めた核物理学徒が、原子力に警鐘を鳴らす研究者に生まれ変わったのだ。
小出さんは助教、昔の助手の身分にとどまっていることについて訊かれると、他のポストを望んだことはないし、したいことはできる、誰にも命令されることも誰かに命令することもない現状に満足している、と答える。いっぽうで、小出さんと志をともにしてきた京都大学原子炉実験所のいわゆる「熊取六人組」が退官などで欠けていき、後継者がいないことについては、志願者はいたが強いて勧めなかった、と明かす。
小出さん個人としては満足できても、人により、あるいは一般的には耐え難い立場だ、ということか。この矛盾を一身にひきうけるところから、小出さんら熊取で反原発のために一生を捧げる物理学者の道は始まったのだろう。その道は狭い。そして厳しい。ポストを追われることはなくても、学会で冷や飯を食うとは、研究者として力を伸ばすさまざまな機会がなかなか回ってこないということだ。海外への留学や研究滞在はおろか、学会出張のチャンスも狭められる。ましてや原子力学会のような、一方向しか向いていない、今やその閉鎖性が知れわたってしまった学会では、その冷遇のほどは想像に難くない。
そんな小出さんに脚光が当たった。当たってしまった。小出さんたちが恐れ、警鐘を鳴らし続けてきた原発事故がついに起こってしまったのだ。原発は、ひとたび事故になったら手に負えない、だからやめろ、と言ってきた小出さんは、立ち尽くすしかない。けれど人びとはここぞと小出さんの言葉を求める。求められるままに小出さんは言葉を繰り出す。それらを集め、またその主張の拠って来たるところがより深く理解できるよう、3・11以前に書かれたものも補助線として収めたのが本書だ。
巻頭には、鎌仲ひとみ監督との緊急対談が収められている。監督もまた、原発の問題を映像作品によって追及してきた。私が小出さんを知ったのも、鎌仲さんの『六ヶ所村ラプソディー』だった。今この時いちばん聞きたい二人の対談なのだが、その二人がまずうろたえたということに打ちのめされる。
小出 (前略)夢であってほしいと思った。初めのうちはずっと、現実に起こったことだとは思えないままでした。まるで悪夢のようだ(後略)
鎌仲 「夢なんじゃないか」「いや、これは現実に起きたことなんだ」という考えが、毎日頭の中で行ったり来たり(後略)
「敗北の歴史を歩んできた人間」「何をやっても駄目だった」と自称する小出さんが、退任を数年後に控えて、3・11を迎えてしまったのだ。だから言ったじゃないか、という言い方を、しかし小出さんはしない。絶望の淵からそれでも最善を望んで発信をし続ける。事故を収めるため、被曝を防ぐために今すべきこと、原発は不要なこと、原発はどうしようもない「科学技術」であること……なぜどうしようもないか、技術を超えて社会的な見地から、小出さんは断言する、原発はさまざまな差別を生む、だから容認できないのだ、と。その腹の底からの声に、私は打たれる。重い。けれどよりましな将来があるとしたら、ここに刻まれたことばをわがものにした先にしかないと思えることを、今は希望とするしかない。
(いけだ・かよこ 翻訳家)
『原発のない世界へ』 詳細
小出裕章著
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