「身につまされて読む」という経験/林 望
古典文学……?
そう言われると、「え、でも……難しいし」とか、それでもなければ、「文法とか、面倒くさくて退屈」とか、しり込み的反応をする若い人たちが非常に多いような気がする。
しかしね、それはほんとうに貧しい心の持ちようで、いったい今ここに、「わたし」という人間が生きているということは、どういうことなのかを考えてみたとき、父母、祖父母、曾祖父母……と、ずーっと遡っていって、やがて奈良・平安時代の人たちとも、どこかで遺伝子の輪が繋がっているのだと、そこを思ってみてほしいのだ。
私たちは、このヤマトの国の海山のあいだに、連綿として営みを続けてきた温雅で凜とした民族の末裔なのだということ、そして、太古の昔から日本語という言語を使い続けて、数千年間絶やすことなく今に至っているのだということを。
思えばありがたいことではあるまいか。
清川妙さんのこの本は、そういう昔の人から今の私たちまで、脈々と繋がっている命のめでたさを、古典文学のなかから好箇の実例を拾いつつ、「ほら、こんなに古典は、自分のこととして解るものなのよ、決して退屈でも難しくもないでしょ」と、微笑みながら教えてくれる好著である。
なかでも、第三章の「古典のシンクロニシティー」は、そういう著者の思いが色濃く反映していて読みごたえがある。
たとえば、「男友達、持っていますか」という章は、『万葉集』巻四「相聞」の、こんな歌から説き起こす。
玉の緒を沫緒に縒りて結べらば
ありて後にも逢はずあらめやも
これについて、清川さんはこう噛んで含めるように説く。
「紀女郎が大伴家持におくった歌、家持のほうから恋仲になろうと迫られたのに対して、やんわりと『おたがい、もっと自由な仲のほうが長つづきしていいんじゃない?』と、いなしている歌だ。
恋してすぐに深い仲になってしまって、飽きて別れて胸をひき裂かれる思いをするよりも、男友達の関係のほうがいいわ、という提案。古い『万葉集』の中にも、こんないまふうなセンスの歌があることは、なんとも愉しい。いってみれば、これは『恋人でいるより、男友達の関係でいましょうよ』という提案ではなかろうか」
家持は、この紀女郎にしばしば求愛の歌やら、逢えないことを恨む歌などを贈っているけれど、それでも、この人は、家持の心を傷つけないようにして、やんわりと、しかしきっぱりとその「深い仲」への求愛を断ったらしい。じつにカッコイイ。
そこからまた清川さんは、『枕草子』でも、清少納言が藤原斉信の肉体的求愛に対して、「いつまでもさわやかな男友達、女友達の関係のほうがいいわ」と言って、やんわりきっぱりと断ったという話にも語り及ぶ。
さて、男と女の間に友情は成り立ち得るか、という命題は、今もなお多くの男女の心を悩まし続けている。どうだろう、この紀女郎や清少納言のような「やんわりきっぱり」と、男の求愛を退けて、爽やかな友情の関係でいようと言ってのける女の賢さ、そしてそれを諒として受け入れた男の、また素敵さ。
こういうことを古典のなかに発見すると、私たちは、身につまされながら、我が身の問題として古典を考える。そうして、こんな温和で理知的なご祖先がたを、ああ懐かしいと思う。
この本は、名うての古典読みである清川さんが、悲喜こもごもの豊かな人生のなかで、どんなに身につまされながら古典を読み、古典に励まされ慰められたかという話の集大成なのだ。
とくに若い人に読んで欲しい。読んで、みなこんなふうに身につまされて古典を味わってほしい。それが、私たちが日本に生まれ育ち、日本語というすばらしい言葉を母語として命を繋いでいることの、大きな歓びなのだから……。
(はやし・のぞむ 作家/書誌学者)
『つらい時、いつも古典に救われた』 詳細
清川妙著
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