酒場めぐり、もう一つの楽しみ/井上理津子
高野山、大阪・新世界、仙台、東京・浅草、秋田、広島・鞆の浦、博多、京都・三条、横浜・野毛……。行った先々で、シブい居酒屋に着地する小さな旅を本誌で二十四回重ね、このほど『旅情酒場をゆく』が文庫本になった。
町の匂いをかぎながら歩くと、必ずや「ここだ!」と思う店が見つかるものだ。
土地の人が土地のものを精魂こめて供する居酒屋は、日本の財産だと思う。鞆の浦の店では「外国語?」と思えるような名前で呼ばれているたくさんの小魚に出合ったし、飛騨高山では漬物のステーキを略した「ツケステ」の奥深い味を堪能し、紀伊勝浦ではイルカのお刺身、気仙沼ではモウカの星という鼠鮫の心臓に舌鼓を打った。土地の人たちが飲んでいるお酒は、土地の食べ物にぴたりと合い、それはそれは美味だったし、店主や常連さんたちのわが町自慢を聞くのも、ほんとに愉しかった……という話は、本書を読んでいただくとして、ここにはちょっと脇の話を書きます。
じつは、私がこの「旅情酒場」を回っていた期間は、大阪の飛田新地の取材をしていた時期と重なっていた(飛田新地のことは『さいごの色街 飛田』として昨年上梓した)。そのためかどうか……。初めての町を歩くうち、不思議なことに、私は「色街」的ないくつもの場所に導かれた。
『夫婦善哉』続編の舞台を訪ねようと別府に行った時、町の中心部にアーケードの古びた商店街が続き、その周辺に細い路地が右に左に走る光景にドキドキした。むろん路地には飲食店が並んでいた。よく見れば、それら飲食店のどこもかしこも「お茶漬け」と書かれたメニュー看板がかかっている。このあたりの名物はお茶漬けなのかと、町の人に訊くと、含み笑いされるばかり。ねばると、こんなことを教えてくれた。
「戦後、焼け野原になった東京や大阪から、新天地を求めてやってきた人たちが店を始め、調理技術の要らないお茶漬けを出した。そして手っ取り早く稼ぐために、店の二階で客を取った。メニュー看板はその名残りなのよ」
そう聞いて、二階を見上げると、窓の桟や手摺が何かを語っている。物語を秘めた空気が淀んでいるように見えた。
吉原を凌ぐともいわれた名古屋・中村遊廓の跡地へも行った。入母屋造、二階建て、窓に格子が張り巡らされ、玄関の上に唐破風が載った、まさに遊廓建物がいくつか残っていた。昼ご飯を食べに入った食堂で、遊廓の息子さんで、今も元遊廓の建物に住んでいる方と隣り合った。家の中を見せてもらうことになり、ついて行くと、「大正十二年築」の建物と同じ齢だというお母さんがいらした。
「最盛期十五人の女の子いてね」と始まるお母さんの語りを聞いた。「この前の道路に紅い布を敷いて、花魁道中をやった。各店から売上の一番多い女の子が出て、八の字でしゅっ、しゅっと歩いた」と。
下関では、そうとは知らずに訪ねた神社が、豊前田という遊廓と関係が深かった。「女郎さんが遊廓から出るのを許された唯一の場所がここ。毎日、仕事前に女郎さんがぞろぞろとお参りに来られて華やかだったんですって」とおっしゃる。「面白いもの、見せましょうか」となって、賽銭箱の裏面を見せてもらうと、十八人の女性の名前が書かれていた。「明治四十三年に、大口の寄進をした女郎さんの名前」だという。私は、貴重な遊廓関係遺産にいつしか行きついていたのだった。
さらに、もはや遊廓の名残りなど残っていないはずの吉原を歩いた時は、その夜唯一灯りがついていた、コンクリート造りの外観のお寿司屋に入ったのだが、船底天井が設えられた内装に、遊び心が詰まっていると思いきや、売春防止法が完全施行される一九五八年の建物だった。「吉原がなくなり、遊廓を造っていた大工さんが腕の見せどころがなくなるってんで、この建物を最後の仕事にしたみたいなんだ」と店主が言った。
そんなふうに、『旅情酒場をゆく』には、色街がらみの記述が結構出てきます。そちら方面に興味のある方も、ぜひ読んでください。
(いのうえ・りつこ フリーライター)
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