時代を映す「たべもの事典」/松下幸子

 岡田哲氏の『たべもの起源事典日本編』は、現在の食卓を構成するたべものについて、素材・料理法・料理・調理器具・什器・様式・用語・制度などから、日本人の食文化に関わりの深い一四〇〇語を選んで、その起源発生についてまとめたものである。巻末には参考文献として江戸時代以前から現代に至る六四〇点があげられており、記述は各時代にわたっている。
 私の食文化の研究は江戸時代を中心にしているので、本書のように広い分野について、各時代を網羅したものは、視野を広げてくれて読んでいても楽しい。また手もとにある「たべもの事典」は古いものばかりなので、本書によって新しいたべものについて知識が得られるのも嬉しい。
 たとえば「インスタント食品」の項目を見ると、昭和三十三年発売のインスタントラーメンが契機になって、多彩なインスタント食品時代が到来したことがわかり、「インスタントラーメン」の項目で、昭和三十六年に浅草松屋で即席ラーメンのコンクールが行われ、このときから即席ラーメンが「インスタントラーメン」とよばれるようになったことがわかる。このように、「たべもの事典」はその時代の食生活を反映しているので、昭和三年初版の沢村真著『食物辞典』と本書から、「サンドイッチ」の項目をとり上げて比較してみた。昭和三(一九二八)年と、本書の初版、平成十五(二〇〇三)年とでは七十五年の隔りがある。
『食物辞典』には「さんどうゐつち」として次のように書かれている。「サンドウヰツチとは食麺麭を薄片となしてその間に冷肉の類を挟みたるものをいひ、野遊その他の弁当として最適当なる食品なり。サンドウヰツチの名は英国の貴族サンドウヰツチ侯に由来せり。侯の祖先に頗る賭博に耽りし人ありて、食事のために賭博の時間を殺がるゝをいたく惜み、麺麭に肉を包み之を食ひつゝ賭博せるに基因せりと。されども今は中身は肉の外鶏卵、野菜、果物その他のものを用うるに至れり。麺麭は周囲の堅きところを切り去りて用うべし。今主なるサンドウヰツチの製法を述ぶべければ、他は之によりて類推すべし。」
 以上の記述に続けて、ミート・サンドウヰツチに始まり、ハム、エツグ、レチユース(チシャ)・サラド、アプリコツト、チキン・サラド、フイツシユなどのサンドウヰツチの作り方がある。
 本書のサンドイッチは、定義や起源は『食物辞典』とほぼ同じで、日本には明治初期に来日したイギリス人によって伝わり、明治二十年代に列車の食堂や駅弁に採用されたことなどの記述があるが、各種サンドイッチについての解説はない。この違いは現在は手軽な食べ物として知られているサンドイッチが、『食物辞典』の昭和三年頃は庶民的なものではなかったことを示すと言えるだろう。『近代日本食文化年表』(小菅桂子著)によると、昭和四年に東京銀座に開店した本格的レストラン資生堂パーラーの品書の中に「カリーライス五〇銭、ローストビーフ八〇銭、エッグサンドイッチ五〇銭、野菜サンド六〇銭、チーズサンド七〇銭」とある。
 サンドイッチを例にとって二つの「たべもの事典」を比べてみたが、年月の隔りに感慨を覚えるのは年のせいだろうか。私は昭和十八年に東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)に十八歳で入学し、昭和二十二年に卒業したが、在学中に購入した本で現在手もとにあるのは『食物辞典』だけである。四年間の在学中に曲がりなりにも授業を受けたのは一年と四年の時だけで、二年と三年は勤労学徒として板橋の陸軍造兵廠や群馬県の農村で働いていた。終戦後四年生の時に『食物辞典』を古本屋で見つけた時の嬉しさだけは記憶にある。本書の参考文献の昭和期の一五八点のうち終戦以前の出版は五点しかないように、本も食料もない時代だった。本書に記載されたたべものは、すでに失われたもの以外は現在たべることができるが、このように豊かな食生活が可能な時代が、いつまでも続くことを心から願っている。(まつした・さちこ 江戸食文化研究家)

『たべもの起源事典 日本編』詳細
岡田哲著

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