会社小説でも職業小説でもない「働く人小説」/温水ゆかり

 太宰賞でデビューし、一作ごとに進化を遂げている津村記久子さん。ツムラさんの――と、いま著者の名前をあえてカタカナにしたのは、彼女の小説では登場人物がカタカナ表記されることが多いのにちなんでのことだが、しかし、今回物語の中心に居座る「アレグリア」は、漢字という表意文字から意味を脱がせなくとも、最初っから“カタカナなヤツ”である。品番YDP2020、商品名アレグリア。そう、こいつは立派な商品なのである。が、商品のくせして使えない。使えないヤツが職場にいるストレスを巡るイラッチ小説(あ、このイラッチは大阪語の“苛っち”です)、あるいは呪詛小説、もしくは憤怒小説が本書である。
 冒頭から笑う。主人公ミノベのあられもない面罵と憤怒の絶叫に。アレグリアはプリンタ、スキャナ、コピーの三つの機能を持った高性能という触れ込みの複合機。プリンタとスキャナの仕事ぶりは実に素早く美しい。が、地質調査業者であるこの会社に二年前に中途採用されたミノベが、おもに必要とする用途はコピーである。コピーと言えば、基本動作ではないか。なのに、アレグリアは一分動いたと思ったら、ウォームアップで二分止まる。「あたし寒いの、か、このやろう、人肌恋しいのかおら、(中略)ならおまえを作ったクソ開発者かあのクソメンテに暖めてもらえ」。ミノベはケリを入れる寸前である。
 ミノベに言わせればアレグリアはどうしようもない性悪である。華麗なスキャナ機能で男性社員の歓心を買い、女性社員がやる単純作業は“あたしそういう地味目の仕事って向いてないの”と言わんばかりにサボタージュする。
 働く人には矜持がある。矜持が大げさな言い方に聞こえるなら、会社や職場に貢献する形で達成感を得たいという気持ちを持っている。ミノベはクセのある道具やマシンでも、それらを手なずけるのが好きだ。工夫すれば、道具は応えてくれる。ところが高慢ちきなアレグリアはつんとすまして、それを拒む。「こいつは女が嫌いなんだと思います」とミノベは穏和なトチノ先輩に訴えるが、穏和な彼女は「あら、そう?」ってなもんで、さほど興味を示さない。そのことがミノベを一層孤独に追いやる。うん、読んでもらえない訴状、共感してもらえない内部告発は、人を荒野に佇ませますね。
 私は読みながら、あらためて津村さんの「働く人小説」って好きだなぁと思った。会社小説や職場小説ではなく、職業小説でも職能小説でもなく、いわばそのどれもがちょっとずつ入っているから「働く人小説」。いまここで働くことに真剣に取り組んでいる人の姿を描くから「働く人小説」。この小説は、コピー機の徹底した擬人化が、毒の発散場所として非常にうまく機能している。
 ミノベとちょっと共通項を感じさせる女性が出てくる。サポートセンターのニシモトだ。クレイマーと化したミノベの専用窓口になってしまった人。ところでこの小説には謎がある。なぜいつも苦情の電話にはニシモトが出るのか? そして、修理の男はなぜいつもアダシノで、しかも定時を過ぎてやってくるのか? 冒頭にミノベが患った「足底筋膜炎」という聞き慣れない病気が出てきて、以後まったく触れられないからこれも小さな謎として棘として残っていたのだが、このエピソードもみごとに回収される。
 トロイの馬、援軍を得ての急襲、バイタとバッタ。訳のわからないことを書いていますが、お読みになればわかります。ラスト、アレグリア帝国崩壊でファンファーレが鳴り響くところだが、余韻は甘酸っぱい。こういうあたたかな締めくくり方も、津村さんの「働く人小説」の真骨頂だと思う。
 本書はもう一篇、書き下ろし「地下鉄の叙事詩」を収録する。こちらは敵意と悪意と憎悪についての連作。両作のキーワードをあえて探せば、「虐げられる」だろうか。機械に虐げられ(「アレグリアとは仕事はできない」)、満員電車という空間では人の視線に虐げられる(「地下鉄の叙事詩」)。津村さんは、題材の選び方も巧み。旬を迎えた気鋭の一冊だ。
(ぬくみず・ゆかり 書評家)

『アレグリアとは仕事はできない』
津村記久子
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