生き続ける「ご意見番」司馬遼太郎/坪井秀人
テレビのニュースや時事番組に登場する「ご意見番」。メディアが志向する言論への誘導と批評の機能を代行させられている人々だ。彼らはもともと活字メディアを拠点とする「ご意見番」=批評家の延長上にある。ただ、かつてはテレビでの「ご意見番」の発言は活字の批評と連動していたのだが、活字文化の衰退ゆえにか、最近はその接続線がぷつりと切れてしまった。テレビでの発言は映像それ自体として自律してしまい、書かれたものとしての批評への還元がほとんど行われなくなってしまったのだ。いまや「ご意見番」はリンクを張らぬモニター上の仮象なのであり、そこには言論の空虚感が漂っている。
司馬太郎は一九七〇年代以降、日本の言論社会のまぎれもない「ご意見番」だった。いや死して十年以上経てなお、何しろ本屋に行けば『週刊 司馬太郎』なる冊子が毎週並ぶような、現役ばりばりの流行作家なのである。司馬は活字による書物の言論と映像を含むメディアの言論とを行き来できる最後の作家であったと言ってよいが、それだけにその存在が死後になって、むしろより揺るぎなく「ご意見番」としての位置を確保している。このことの意味は、小さくない。「ご意見番」稀薄化のご時世にまことに重宝な存在なのだ。
初期から晩年までのクロニクルに沿いながら司馬太郎の作品史の全体像を射程に収める本書が焦点をあてるのも、「戦後後」の同時代認識の中に召喚される司馬、まさに「戦後思想家」として機能する司馬太郎その人なのである。なぜ「思想家」であり「作家」あるいは「歴史家」ではないのか。そのこだわりから、「戦後」から「戦後後」へと敷居を越してしまった「この国のかたち」を憂える言論空間それ自体をきびしく対象化しようとする、著者の批評的戦略が見えてくる。
どのような語り方を選ぼうとも、歴史を素材として物語を書くことにはある種のいかがわしさが付きまとう。司馬のように史料をふんだんにテクストにつぎ込めばつぎ込むほど、その史料=生地をつなぎ、その継ぎ目と表層に変形と言葉の介入を加える語りは、どうしてもいかがわしいものにならざるを得ない。歴史小説とは歴史の再叙述の水準にとどまらない歴史の変形と修正を不可避とする。それは究極的には「その時こうであったら、ああであったら」という代替歴史への通路を確保することでもあるのだが、特に歴史資料の中でも記録が最も稀薄で不正確な歴史上の人物の対話し独白する「声」を復元=創造するとき、歴史小説は(歴史に依存したままで)、歴史に対する決定的な侵犯を行う。
歴史小説をめぐる議論は大岡昇平のような小説家たちの間でも提起されたし、当然歴史家も問題化してきた。著者の成田龍一も含めて、歴史・思想研究から、いわゆる「司馬史観」に対する批判的な検証が始まったのは、しかし、物語/歴史というジャンル間の構造的な葛藤という理由からではない。一九九〇年代半ば、戦後の歴史認識をめぐる論争、政治・教育や言論を揺さぶった新自由主義の潮流が勃興する「戦後後」の言論状況の中で、司馬太郎は生物学的な死を迎える。だが、それはこの作家がまごうかたなき「ご意見番」として生き始めたことを意味していたのである。
歴史を改訂する歴史小説はその成り立ちからして歴史修正主義と親和性がある。日露戦争を分岐とする日本近代史の像を物語の中に復元=創造し、物語の力で読者の心性奥深くにその歴史像を浸透させていった司馬太郎。日露戦争から百年という時間が経過した今この時期に、その存在と向き合うことが迫られていると言えるだろう。司馬から投げられた歴史研究批判の矢を誠実に受けとめて投げ返そうとする本書は、物語対歴史という二項対立的なアリーナに入ることを賢明に回避し、歴史の政治性を非政治化する物語が政治的文脈に回収されてしまうことに対して、渾身の力で抗おうとした実践である。
(つぼい・ひでと 名古屋大学教授)
戦後思想家としての司馬遼太郎
成田龍一著
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