戦後日本を決定した七年間!/竹内修司

 中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、昭和六年のことだったそうだ。かりに明治憲法が発布された明治二十二年から数えるとすると、このときまでに四十二年。戦後占領下で新憲法が施行された昭和二十二年から数えても、今年は六十二年になる。経た年月からすれば、まさしく「遠くなりにけり」。
 けれども敗戦と、その後七年近く続いた占領の記憶を持つ者が、圧倒的少数派になった今日なお、私たちが生きる社会にも、日常にも、この民族的体験の刻印は深く残っていて、事あるごとにそれは社会的な問題として浮び上がってくる。
 敗戦という思いもかけなかった現実と、国家体制の崩壊、国土の荒廃に直面して呆然自失しているところへ、強大な力を持ったかつての敵が乗り込んで来て、この国は有史以来はじめての異民族支配を受けることになった。それは同時に日本人の大多数にとって、生れて初めての異文化との接触でもあった。
 占領軍から矢継ぎ早やに出された改革の指令は、これまでの国のありようにも人々の意識にも百八十度の転換を迫るものだった。今では空気のようになじんでいる社会制度の多くも、この時に強制され、それをあるいは不承不承に、あるいは進んで受け入れた結果として存在しているのだ。
 この未曾有の体験については、すでに多数の優れた考察や研究の蓄積がある。占領された側からのものもあれば、占領した側のものもある。肯定的な評価もあれば、否定的な評価もある。
 けれども、占領の記憶を持たない若い世代が、あの体験とは何だったのか、それは今日にどんな刻印を残しているのか、を総体として知るためには、それぞれが専門的でありすぎるか、局部的でありすぎるか、取り付きにくいか、のいずれかではないだろうか。
 なるべく分かりやすく、なるべく見通しよく、なるべく今日の課題に引きつけて、このテーマをみんなのものとして考えよう、という意図で本書『占領下日本』は企画された。
 すでに日本の現代史について多くの著書があり、定評を得ていて人気も抜群の半藤一利、保阪正康、松本健一の三氏に、実績に乏しい筆者がなぜか加わり、できるだけ浴衣がけで、平易さを主眼として語り合おうとの趣旨で進められた。
 全十八章の章立ては、半藤さんの手になる。目次を一見していただけばお分かりのように「東京裁判」や「憲法」、「朝鮮戦争」など今日なお切実な問題を提起しているテーマもあれば、「ストリップ元年」のようなくだけた話題、坂口安吾の「堕落論」、桑原武夫の俳句「第二芸術論」のような当時一世を風靡した日本文化論をめぐるもの、水泳の古橋、ノーベル賞の湯川、ヴェネチア映画祭グランプリの黒澤という、敗戦にうちひしがれていた国民を感奮興起させた出来事、松本清張が「日本の黒い霧」で展開した推理、マッカーサーと昭和天皇の歴史的会見のもつ意味など、広範で多彩な事象を網羅して「占領像」の全体を浮き彫りにしようと考えられたものである。
 座談会はひと月ずつ間をおいて計四回、筑摩書房の会議室で開かれ、それぞれ四、五時間を費やして語り合った。章のテーマごとに、一人が「冒頭陳述」をつとめ、各自が自由にコメントを述べるというシンポジウム形式で進められた。筆者には思いもつかなかった視点からの発言、ユニークな解釈が続出して楽しいひとときだったが、それにもまして楽しかったのは、長丁場を過ごしたあと、近くの蕎麦屋に場を移し、一杯やりながらの四方山話の、くつろいだ数刻だった。こればかりはこの本の読者と分け持つわけにいかないのが残念である。せめてその雰囲気を本文から推し量っていただきたい。
 出来上がった速記に、各人がそれぞれ検討してしかるべく手を加えた結果がこの本になった。果たして企画通りとなり得ているかどうか、その判断は読者に委ねられるが、少なくとも類書にはみられない肩の凝らない形で、しかし真摯に、この重要なテーマに挑戦してみようという意図は、汲み取っていただけるものになったのではないかと思っている。
(たけうち・しゅうじ ジャーナリスト)

占領下日本
半藤一利・竹内修司・保阪正康・松本健一著
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