仕事じゃなくたってかまわない/瀧井朝世

 出世の見込みのない部署。やる気のない同僚。遅々として進まない作業。そんな職場に通う毎日はうんざりかもしれない。でももし、仕事以外に、やりたいことを持っているとしたら?そう、やりたいことは仕事とは限らないものである。
 三浦しをん氏の新作、『星間商事株式会社社史編纂室』の主人公、川田幸代はまさにタイトルにある部署に勤める会社員。どこかズレてる定年直前の本間課長、女子力全開でムダに元気のいい後輩の女子、みっこちゃん。合コン三昧、チャラ男な先輩、矢田。そして姿を現さない幽霊部長。そんな同僚たちを憂いながらもテキパキと行動する幸代。クサらずに済んでいるのは、彼女には秘密の趣味があるからだ。それは、高校時代からの友人たちとの同人誌づくり。月間商事を舞台に、サラリーマンの男同士のめくるめく恋の物語の執筆に夢中なのである。が、それを知った課長がなぜか「自分たちも同人誌を作ろう」と騒ぎ出す……。
 三浦氏の作品には人の陰の部分を描いたシリアスなものから、王道青春小説までさまざまなテイストがあるが、本作はキャラクターが際立ったコメディ。編纂室での噛み合わない会話、幸代の心のツッコミが笑わせる。さらに、なんといっても出色は小説内小説。幸代の紡ぐラブロマンスは赤面するほど気障な台詞も飛び出す禁断の世界。一方、本間課長が綴るのは、なぜか若侍となった本間と、忍者のサチ(幸代)、花魁のミツ(みっこちゃん)、庭番のチンペイ(矢田)が、とある陰謀の調査に乗り出す内容で、これがもう大爆笑。
 一方で、同人誌制作の過程も生き生きと描かれる。創作に対する真摯な姿勢、コミケに参加するためのさまざまな手続きの様子は、誠実な働きマンが仕事に邁進しているという印象で、読んでいて実に気持ちいい。同人誌即売会の様子も、実際のぞきに行ってみたくなるほどにぎやかで楽しそう。
 が、本書は単なるにぎやかなドタバタ劇では終わらない。三浦作品がそれで終わるわけがないのだ! 社史編纂を進めるなか、幸代たちは一九五〇年代後半に第一線で活躍した人物たちが、みなその時代のことになると口をつぐむことに気づく。「高度経済成長期の穴」と称して調べを進めようとすると、なんと「これ以上、嗅ぎまわるな」と脅しのハガキが届く。一体、あの時代に何があったのか? 編纂室の面々は、使命感を持って調べ始めることに。
 同人誌の制作と、会社の裏の歴史の調査。忙殺されて目の下に隈を作ってパンダ状態になりながらも突き進んでいく幸代だが、内心では生身の人間の複雑な思いが去来している。社内、例えば社員食堂で感じる身の置きどころのなさ。定職につかず、すぐ放浪の旅へと行ってしまう恋人に対する将来の不安。結婚して同人誌づくりを辞めると言い出した同人誌仲間に対する寂しさ。それは仕事での成功や結婚など、世の中で人が追求すると思われているものからの乖離感、置き去り感ともいえる。
 そのとき、幸代を支えるのは何か。書くことである。そして突き止めた意外な裏社史をどう処理するのかも、非常に彼女らしいものとなっている。
「書くという行為があってよかった、と思った。むなしさややるせなさを、いっとき忘れられる。」
「そうだ。紙に記されたひとの思いは、時間を超えていつかだれかに届く。」
 ああ、この人は本当に書くことが好きなのだなあと思う。それほど思いを託せるものがひとつでもあれば、人はきっと大丈夫。それが仕事だろうがなんだろうが、かまわない。
 現在の幸代の悩みと、高度経済成長期の星間商事の体制に対する違和感がオーバーラップするとき、読み手に伝わってくることがある。それは、世間的な利益追求とはまた別に、自らの道を選びとることができるとは、なんと幸福か、ということ。その頼もしさ、その懐の深さを持った幸代に、エールを送りたくなる。そして意外な働きを見せる、編纂室の面々にも!
(たきい・あさよ フリーランスライター)

星間商事株式会社社史編纂室
三浦しをん著
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