社会を映す、うちのご飯の変遷/阿古真理

 昔、むかし。ある山の村に、お父さんとお母さん、そして娘や息子たちが暮らしておりました。食べるものは、家の田んぼや畑で穫れたものが中心です。両親は野良に出て働き、子どもたちもよく手伝います。山には栗の実がなり、シメジやシイタケ、山菜が生えていて自由に採ることができました。家族の楽しみは、早乙女と牛が主役の花田植え、収穫を祝う秋の神楽など、村中総出で祝い、質素なふだんの食事とは違うご馳走を食べられる年中行事でした。
 やがて息子の一人が家を継ぎ、そのほかのきょうだいたちは都会へ出ていき、結婚して新しい家を構えて暮らしました。それぞれが娘や息子たちを産んで、夏になると家族そろって田舎へ帰ってきました。年を取ったおばあさんは、孫や子どもたちのために普段は使わない土間の台所へ降りてすしと柏もちを作り、おじいさんは、縁側でひなたぼっこをしながら孫たちの笑い声を聞いておりました。


 これは、現在四十一歳の私の家族に起きた戦後の出来事である。郊外に暮らすサラリーマンの父と専業主婦の母の間で育った私は、夏に田舎へ行くことを楽しみにしていた。娘の私から見れば、十分に都会的で現代的な女性だった母は、手伝いのために田んぼで働き、山で遊ぶ子ども時代を過ごしている。そんな昔の体験を母からはじめてくわしく聞いて、昭和二十年代の田舎の暮らしから始まり二十一世紀の東京に至る、祖母と母と私の体験と記憶を書いた。その中心にあるのは食べものである。背景には社会の変化がある。
 戦前・戦後を田舎で生きた祖母と、高度成長期に田舎から都会へ出た母、昭和の後半に郊外の核家族で育った私は、それぞれの時代の平均的な女性である。祖母と母と私が食べてきたものの記憶を、地域の習慣や風俗や経済の歴史とつなげて見渡してみれば、私たちが現在どんなところにいて、これからどこへ向かっていこうとしているのかが分かるのではないか。そう思って書いたのが、『うちのご飯の60年』である。
 食べものの嗜好は本来保守的で、人はよその家のもの、よその国のものより、昔からなじんだ味を好む傾向がある。にもかかわらず、日本の戦後は、食卓に並ぶ食べものの種類や料理の味つけが変わり続けた六十年間だった。野菜の煮つけや味噌汁、漬けものとご飯が並ぶ食卓で育った自分の娘が、ハンバーグやスパゲッティミートソースを子どもたちに食べさせ、子どもたちが成長して自分の台所を持つようになると、好みのスパイスで味つけしたカレーやアボカドサラダを食卓に並べる。そんな未来の食卓を、十代のころに女学校へ通いたいと憧れた祖母は、想像できただろうか。
 今、食は、マスコミが頻繁に取り上げるテーマの一つである。だが、変化が激しい時代の中では、半年前のこともすぐ遠い出来事になってしまう。三~四年前は食育ブームで、去年とおととしは食品偽装事件が続いたことを、どれだけの人が覚えているだろうか。しかし、食に対する関心が高まった影響もあり、今年は農業と食糧自給率の問題が連日メディアをにぎわしている。流通業界の動向や飲食チェーン店の成功は、経済番組によく取り上げられる。グルメとダイエットは、相変わらず情報誌や女性誌の中心的なテーマである。
 メディアが取り上げるのは、常に特別な出来事、たとえば最先端の情報やドラマチックなサクセスストーリー、あるいは社会のモラルに反した事件である。メディアの内側で働いてきた人間として、目新しいドラマがなければテレビや雑誌で取り上げられないことはよく分かっている。しかし、暮らしと仕事の課題に頭を悩ませる一人の生活者としては、メディアが取りあげずにきた、普通の暮らしに関わる問題が気になる。暮らしの変化は、私たち一人ひとりが過ごす日々の中で、地味に進行し、いつのまにか常識を塗り替えてしまう。私たちは実は歴史を作る主役なのである。そんな普通の暮らしを送ってきた祖母と母と私の食生活を通して、社会や生き方の変化が描けていればうれしい。
(あこ・まり ノンフィクション・ライター)

『うちのご飯の60年
 ――祖母・母・娘の食卓』
阿古真理著
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