中世の寺社は独立国?/伊藤正敏
普通、中世とは、平安後期・鎌倉・室町、さらに戦国時代ぐらいを言う。沖縄・北海道ではこの時代区分は全然成り立たない。では奈良、大和国はどうか。ここは守護・地頭が設置されず、武家支配が及ばなかった地域であり、やはりこの時代区分はナンセンスだ。常識的な日本史年表は、京都のすぐ隣の南都、副都奈良でも通用しない。紀伊国や近江国でも事情は同じだ。当時の首都圏ですら通用しない時代区分は明らかに不適切だ。
今までの歴史は、寺院・神社(寺社、神仏習合なので一体)の役割をほとんど無視してきた。しかし興福寺は「大和国守護職」と自称し、実際にも大和の国司や守護のような役割を果たしてきた。紀伊も九割が寺社領であり、近江は延暦寺の強い影響下にある。これらの寺社の境内と所領荘園(国土の半分にも及ぶ)は、朝幕の力が及ばず、代わって寺社が警察権を行使する治外法権の、半ば独立国であった。要するに今までの時代区分は、武士だけを見て作られたものであり、実情に合っていない。平安末~戦国は一つの時代として見るべきだ。
中世の寺社はこの警察権を支える大きな武力を持っていた。それゆえ、古代や近世の寺社と区別し、特にこれを取り出して「中世寺社勢力」と呼ぶ。その力の源泉は武力ではない。朝廷や幕府をはるかに凌駕する文明・文化の最先進地だったところにある。能・生け花・茶道……今日伝統文化と言われるものは、ほとんど寺社で生まれた。修学旅行や観光で見た京都の国宝建築を思い起こしていただきたい。多くは神社や寺院で朝幕のものはほとんどなかったはずだ。実は建築技術を筆頭として、石垣普請・庭園築造から、弓矢製作・鉄砲生産・築城など軍需産業に至るまで、先端文明の大半も寺社で発生したものだ。現代に生きる日本の文明と文化は、古代王権からでなく中世寺社から生まれた。ところが、人口密度が一番高い寺社の境内と門前……ここは都市であり、境内都市と呼ぶ……光り輝く文明・文化センターが無視されている。現代の東京を語るのに、霞ヶ関の話ばかりして、新宿や渋谷をないものとして論じているのに等しく、大変におかしい。
さて大津市の浄土真宗本福寺の記録に「世間ノ住人、世ヲシソコナイテ、御流ノ内ヘタチヨリ、身ヲ隠ス」の一節がある。「御流」とは一向宗を指す。寺社勢力は「世をしそこなった」人々の避難所の役割を果たしていた。「無縁所」という。謡曲には寺院や寺僧にすがって奴隷の身分から解放される筋立てが多い。背景には仏教の衆生済度の理念と平等原理がある。敗者たちの避難所と救済所、死を免れ、奴隷の境遇を免れ、ゼロから再スタートを切る地点……無縁所は敗者となりやすい民衆と極めて親和的である。中世の寺社は大きな力を持つが独立国ではない。社会のひずみを補完する救済センターなのだ。
歴史を楽しむポイントは、以下である。
①図式で考えるな、自分の目で見よ(「聞いたふうな話」はおもしろくない)
②わからない部分を無理に辻褄合わせしない(空白や謎が残る方が科学的かつロマン的だ)
各地の寺社や遺跡を訪問する。展覧会に行く。遺跡の発掘現場の説明会に行く……どれも面白い。デートなど不純な動機で行ってもよい。今回の本で紹介した鎌倉の和賀江島は、現存最古の港湾遺跡であるが、海水浴やボードセイリングとかけ持ちで見学できる。「教育」や「イデオロギー」が混入すると、歴史は急に窮屈で退屈なものになる。
歴史はミステリーやパズルとして楽しまなければ損なのだが、現在のところ、フィクションは別にして、歴史に遊ぶ手頃な本は皆無に等しい。そこで『寺社勢力の中世』『無縁所の中世』の二冊を書いた。もちろん私独自の説を展開したが、歴史への道案内という任務は常に意識し続けた。今はさらに次のステップにアップした本を書いている最中である。
(いとう・まさとし 思想家・中世史研究家)
『無縁所の中世 』 詳細
伊藤 正敏 著
ご注文方法はコチラ
トップに戻る
バックナンバー
- 第638号24年5月号
- 第637号24年4月号
- 第636号24年3月号
- 第635号24年2月号
- 第634号24年1月号
- 第633号23年12月号
- 第632号23年11月号
- 第631号23年10月号
- 第630号23年9月号
- 第629号23年8月号
- 第628号23年7月号
- 第627号23年6月号
- 第626号23年5月号
- 第625号23年4月号
- 第624号23年3月号
- 第623号23年2月号
- 第622号23年1月号
- 第621号22年12月号
- 第620号22年11月号
- 第619号22年10月号
- 第618号22年9月号
- 第617号22年8月号
- 第616号22年7月号
- 第615号22年6月号
- 第614号22年5月号
- 第613号22年4月号
- 第612号22年3月号
- 第611号22年2月号
- 第610号22年1月号
- 第609号21年12月号
- 第608号21年11月号
- 第607号21年10月号
- 第606号21年9月号
- 第605号21年8月号
- 第604号21年7月号
- 第603号21年6月号
- 第602号21年5月号
- 第601号21年4月号
- 第600号21年3月号
- 第599号21年2月号
- 第598号21年1月号
- 第597号20年12月号
- 第596号20年11月号
- 第595号20年10月号
- 第594号20年9月号
- 第593号20年8月号
- 第592号20年7月号
- 第591号20年6月号
- 第590号20年5月号
- 第589号20年4月号
- 第588号20年3月号
- 第587号20年2月号
- 第586号20年1月号
- 第585号19年12月号
- 第584号19年11月号
- 第583号19年10月号
- 第582号19年9月号
- 第581号19年8月号
- 第580号19年7月号
- 第579号19年6月号
- 第578号19年5月号
- 第577号19年4月号
- 第576号19年3月号
- 第575号19年2月号
- 第574号19年1月号
- 第573号18年12月号
- 第572号18年11月号
- 第571号18年10月号
- 第570号18年9月号
- 第569号18年8月号
- 第568号18年7月号
- 第567号18年6月号
- 第566号18年5月号
- 第565号18年4月号
- 第564号18年3月号
- 第564号18年3月号
- 第563号18年2月号
- 第562号18年1月号
- 第561号17年12月号
- 第560号17年11月号
- 第559号17年10月号
- 第558号17年9月号
- 第557号17年8月号
- 第556号17年7月号
- 第555号17年6月号
- 第554号17年5月号
- 第553号17年4月号
- 第552号17年3月号
- 第551号17年2月号
- 第550号17年1月号
- 第549号16年12月号
- 第548号16年11月号
- 第547号16年10月号
- 第582号19年9月号
- 第546号16年9月号
- 第545号16年8月号
- 第544号16年7月号
- 第543号16年6月号
- 第543号16年6月号
- 第542号16年5月号
- 第541号16年4月号
- 第540号16年3月号
- 第539号16年2月号
- 第538号16年1月号
- 第537号15年12月号
- 第536号15年11月号
- 第535号15年10月号
- 第534号15年9月号
- 第533号15年8月号
- 2019年8月号 No.581 目次はこちら
- 第532号15年7月号
- 第565号18年4月号
- 第531号15年6月号
- 第530号15年5月号
- 第529号15年4月号
- 第528号15年3月号
- 第527号15年2月号
- 第526号15年1月号
- 第525号14年12月号
- 第524号 14年11月号
- 第523号14年10月号
- 第522号14年9月号
- 第521号14年8月号
- 第520号14年7月号
- 第519号14年6月号
- 第518号14年5月号
- 第517号14年4月号
- 第516号14年3月号
- 第515号14年2月号
- 第514号14年1月号
- 第513号13年12月号
- 第512号13年11月号
- 第511号13年10月号
- 第510号13年9月号
- 第509号13年8月号
- 第509号13年8月号目次
- 第508号13年7月号
- 第507号13年6月号
- 第506号13年5月号
- 第505号13年4月号
- 第504号13年3月号
- 第503号13年2月号
- 第502号13年1月号
- 第501号12年12月号
- 第500号12年11月号
- 第499号12年10月号
- 第498号12年9月号
- 第497号12年8月号
- 第496号12年7月号
- 第543号16年6月号
- 第495号12年6月号
- 第494号12年5月号
- 第493号12年4月号
- 第492号12年3月号
- 第595号20年10月号
- 第491号12年2月号
- 第490号12年1月号
- 第489号11年12月号
- 第488号11年11月号
- 第487号11年10月号
- 第486号11年9月号
- 第485号11年8月号
- 第484号11年7月号
- 第483号11年6月号
- 第482号11年5月号
- 第480号11年4月号
- 第479号11年3月号
- 第478号11年2月号
- 第478号11年1月号
- 第477号10年12月号
- 第476号10年11月号
- 第475号10年10月号
- 第474号10年9月号
- 第473号10年8月号
- 第472号10年7月号
- 第471号10年6月号
- 第470号10年5月号
- 第469号10年4月号
- 第468号10年3月号
- 第467号10年2月号
- 第466号10年1月号
- 第465号09年12月号
- 第464号09年11月号
- 第463号09年10月号
- 第462号09年9月号
- 第461号09年8月号
- 第460号09年7月号
- 第459号09年6月号
- 第512号13年12月号
- 第456号09年3月号
- 第458号09年5月号
- 第455号09年2月号
- 第457号09年4月号
- 第548号16年11月号
- 第548号16年11月号
- 第454号09年1月号
- 第520号14年7月号
- 対談
- 第509号13年6月号
- 第524号14年11月号
- 第548号16年11月号
- 第565号18年4月号
以前のPRちくま
「ちくま」購読料は1年分1,100円(税込・送料込)です。複数年のお申し込みも最長5年まで承ります。 ご希望の方は、下記のボタンを押すと表示される入力フォームにてお名前とご住所を送信して下さい。見本誌と申込用紙(郵便振替)を送らせていただきます。
-
受付時間 月〜金 9時15分〜17時15分
〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3