ある戦中派の戦後史/戸高一成
太平洋戦争が終わって六十五年になる。それは同時に、戦艦大和が撃沈されてからの年数でもある。太平洋での日米の戦いから半世紀を大きく超え、数少ない体験者もほとんどがこの世を去りつつあるにも拘わらず、戦艦大和の存在は今もなお、日本人の心の中に一定の存在感を保持している。それは、大和が国民に知らされることなく建造され、そして国民に知らされることなく消え去った悲劇の戦艦であったためかもしれない。
実は、多くの国民が大和を知るのは戦後のことであり、まとまった形で戦艦大和の戦いを知ったのは、吉田満の「戦艦大和」(『新潮』一九四七年十月号)によると言ってよい。
いわば戦艦大和は、日本人にとって、最初から失われていた戦艦であり、それゆえに伝説となるべき要素を備えていたとも思われる。
当初占領軍である米軍は、この吉田の作品を軍国主義的であるとして発表を禁じていたが、紆余曲折の後、吉田には不満足な形ではあったが、『軍艦大和』(銀座出版社、一九四九年)という単行本として出版されたのである。
吉田の意図したままの形で『戦艦大和の最期』(創元社)として発表されたのは、サンフランシスコ講和条約の成立によって出版物に関する検閲が廃止された一九五二年のことだった。その本の帯には「占領下七年を経て全文発禁解除」と大きく記されていたが、ようやく発表し得たことへの吉田と出版社の思いが現われていた。
本書『「戦艦大和」の最期、それから』は、終戦後間もない頃、吉川英治に薦められて、ほぼ半日、と吉田自身が証言しているほど一気に書き上げた初稿から、吉田が決定稿とした『戦艦大和ノ最期』(北洋社、一九七四年)に至るまでの様々な出来事を綿密に辿っている。
より具体的に言うなら、大きく分けて八つの作品となった推敲の跡を、草稿の段階で友人たちが回覧した写本に至るまでを克明に追いながら異同を検証し、その作業を通して著者である吉田自身の思いの変容を明らかにしようとした著作である。
大和爆沈からほとんど奇跡に近い生還を果たしたにも拘わらず、「不当に生き残った」との思いから抜け出せなかった吉田は、『戦艦大和の最期』の推敲を継続することで、何らかの解決を求めていたようにも思える。同時に、忘れてならないのは、吉田による長い推敲の時間は、彼がこの作品を、個人の戦場体験記から文学作品へと変化させていった歴史でもあった、ということである。
たとえば、現在もたびたび問題とされる箇所に、爆沈後の大和生存者を救助する場面で、救助艇に乗り切れずに船端にしがみ付く兵の手を軍刀で切り払うという描写があるが、これは当初の原稿には記されていないものだった。それが後に付け加えられたのは、著者が文学作品として必要だと感じたからに他ならない。この場面は、平家物語に示唆を得たと思われる。吉田はしかし、この記述に関してたびたび激しい非難を受け、修正を求められていたが、遂に手を入れることはしなかった。吉田にとっては、当然のことであったろう。
著者は、吉田との長い交流の中で、吉田と『戦艦大和の最期』の変化を見るだけではなく、戦争が、というよりも敗戦が日本人に何を残したのかを探りながら、吉田を中核にして、戦中派と言われる世代の戦後のありようをも描いている。それは、「第一章 誕生『戰艦大和ノ最期』/第二章 挫折を乗り越えて/第三章 語り部/第四章 戦中派は訴える/第五章 経済成長と平和を見つめて」という構成に現れている。いわば本書は、『戦艦大和の最期』の著者吉田満を通して見た、戦中派の戦後史でもあると言えるだろう。
三十年以上も前のことになるが、筆者は一度だけ吉田満に会ったことがある。ある海軍関係のパーティーの席で紹介され、挨拶を交わしたに過ぎないのだが、まだ二十代だった私に、吉田は極めて丁寧に接してくれた。しかし、私のいくつかの無遠慮な質問に関しては、「私は、あまりお役に立つことが出来なかったから……」と、多くを語らなかった。私は「お役に立っていないから」という吉田の言葉に、単なる謙遜とは異なるものを感じたが、本書によって、当時の吉田の心情を、幾分理解できたように思った。
(とだか・かずしげ 呉市海事歴史科学館〔大和ミュージアム〕館長)
『「戦艦大和」の最期、それから ─吉田満の戦後史 』 詳細
千早 耿一郎 著
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